見出し画像

相矛盾する“多様性”と“一体感”を共存させる組織開発

多様性を獲得するためには、前提として”排除しない”ことが必要でしょう。でも、一体感を得るためには、そこに染まらない者を、ある程度、排除せざるを得ないのではないでしょうか。この矛盾を解決する思考は、全員が乗れる”大舟”を創ることではなく、個々人が選択できる”小舟”をまとめ上げた”船団”を形成しようとする発想にあるように思います。すなわち、個々人が影響し合う”システム”と、自らが考えて行動する”創発性”の双方が内在する組織です。このような組織は、一過性の熱に浮かされた連帯ではなく、誰かの(何かの)強制によって同じ方向を向くのでもない、自律的ながらも方向を見失わない組織になっていくのだと思います。
例えば、ラグビーW杯の視聴者を、阪神タイガースの応援団で終わらせないためには、どうしたら良いのでしょうか? 多くのプロ野球球団は、強ければホームゲームを大入りにすることができます。2023年の阪神タイガースは、甲子園ばかりかアウェイでも大入りにさせています。強いことで、お祭り騒ぎがしたい人々を惹きつけているからだと思います。でも、万年Bクラスの日本ハム・ファイターズは常に大入りで、2022年は“キツネ・ダンス”をブレイクさせました。一方で、サッカーのサンフレッチェ広島は、強いにも関わらず集客できず、経営は赤字です。プロ球団の経営という視点でみたとき、どの球団の運営が適切でしょうか…。そしてラグビーは、ここから何を学ぶべきなのでしょうか…。
ところで、韻を踏むように言葉を連ねると、常識的には使われないような言葉(あるいは存在しない言葉)が飛び出してきたりします。言語の多様性から発せられるそれらの言葉は、時としてある種の感情(発見・解放)を感じさせてくれます。意味ある言葉を発しようとすると、当たり前の言葉しか出てきません。そして、当たり前の言葉しか出てこないと、思考は硬直化し、遂には閉塞感を生んでいきます。
当たり前から逃れる手段としての多様性は、それを感じ取る人たちによってグルーヴ(一体感)を醸成していきます。そして同時に、このグルーヴに乗れない者は弾き出され、共有できる者だけで強固な連帯を作っていきます。この違いは、やがては断絶へと繋がるかもしれませんが、既存の枠組みとは異なった枠組みを提供してくれることも確かです。そのバランスが大切になってくるものと考えます。
例えば、俗に“ムラ社会”と称される排他性は、身内に対する義理人情に厚く、強固な一体感を生みます。しかし、「三代続いて江戸っ子」というほどに排他的であると、新しいものを嫌い、古きに没することに繋がるでしょう。しかし、「一日いれば浪速っ子」という風潮になれば、スポーツの応援に見られるような、同調への強制力が高まり、ファシズムと化す恐れを感じさせます。
したがって、組織における多様性とは、組織を“大舟”と捉えず、小舟による“船団”と捉えるべきではないでしょうか。すなわち、小舟は古きに没するもの、妄信的になるものと様々に存在しつつも、常に流動的に(生成・消滅あるいは合従連衡が繰り返されつつ)存在し、かつ、組織全体としては多様性を担保するような姿です。これは、経営戦略的には創発的戦略に繋がるものと思います。具体的には、部下の内面に踏み込みすぎず、行動だけを管理・評価することになるように思われます。しかし、これだけに頼る“家康イズム”では、結果論に基づくマネジメントに陥る危険性があるでしょう。そこで、心理的安全性あるいはウェルビーイングなど、結果ではなくプロセスに着目したマネジメントも、また同時に求められるのだと思います。
マネジャーがメンバー1人ひとりの手綱を握るようでは、一体感は醸成されません。メンバー相互が、システムとして手綱を放れることができ、そしてグルーヴ感を生んでいくことがあって初めて、一体感が醸成されるのだと思います。そしてその時、既存の枠組みとは違った枠組みが生まれますが、おそらくは、それを多様性と呼ぶのだと考えます。
ラグビーW杯は盛り上がるでしょう。「でも、レギュラーシーズンは…」とならないためには、グルーヴ感を生む小舟を、いかに形成できるかにかかっているように思われます。

いいなと思ったら応援しよう!