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「お話ししましょう」

人間の幸福度をあげる工夫として、見ず知らずの人にあいさつしてみる、とか、さらには雑談してみる、という手法があるらしい。

日常生活で知らない人との会話はハードルが高い気がする。ただ、会社の中では、何かに理由をつけて雑談を成立させられるかもしれない。

10年くらい前だったか、ほとんど面識のない社員に「お話ししましょう」と声をかけられて、二人っきりで雑談をしたことがあった。

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その当時、ぼくは企画部門にいて、部門でも一番下っ端の存在だった。

あるとき、事業部門の担当者の人が、ふらっと企画部に来て、先ほどのセリフを放ち、同じフロアの奥にある会議室まで、ぼくをソフトに連行した。

当時、企画部のあるフロアは社長室や副社長室と同じフロアで、管理職ではない階層の人が立ち寄ること自体が稀だった。なので、余計に驚いた。

相手は、当時にして40代半ばくらいだったろうか。会社としては新規事業の部門の人で、3つ立ち上がったサービスのうちの1つを担当していた。

なんというか、思い返すと独特の口調と話し方をする人だった。

ときおり出くわすタイプで、上意下達な組織に属する人の呼吸というか、まくしたてるわけではないけれど、でも確実に自分の意見を言い切ろうという意思に満ちた話し方だった。

そういう人の特徴は、通常の呼吸と少し違って、聞いている相手が合いの手または意見を差し挟むタイミングに、あえて言葉をつなぐことで封じている気配がある。息継ぎの切れ間が無い、と言おうか。

そして、たいていはこちらの応答を聞いていないか、反応が薄い。そういう人たちは自分の独特な所作にさえ、気づいていないかもしれない。

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その見ず知らずの社員の話が具体的にどんな内容だったのか、もうほとんど思い出せない。

過去の自分の職歴を語り、過去の実績を話をされ、そして現在担当するサービスの市場優位性を語り、最終的に会社は俺をもっと評価しろ、という趣旨のことをおっしゃったように記憶している。

下っ端であったところのぼくは、ふんふんとリズミカルにうなづき続けて、「すごいですね」とか「そうなんですね」とか「たいへんですね」とか、感心の態度を示すことに終始していた、と思う。

とくに苦痛でもなかったけれど、何か発展性のある時間でもなかった。おそらくその人は、企画部の小僧を捕まえて自分の話を聞かせることに、軽い快感を覚えていたのかもしれない。

もしくは、時期的に人事評価の頃で、不本意な評価を下されたことに憤りを感じ、その不満の解消のために企画部の小僧は利用されたのかもしれない。

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結局、新規事業全体が数年後にとん挫して、「お話し」をしてくれた人もいつのまにか会社を去っていた。よって、あの日の雑談の真意が何だったのかは杳として知れない。

ただ、あの日、何の脈絡もなくやってきて、雑談とも言えぬ会話を交わしたその人に対して、なぜかぼくは好意的な印象を持ち続けている。

もっと仕事上でやり取りをしたのならば、嫌な面も見えてきて、悪い印象に塗り替えられていたかもしれない。そうした場面もなかったので、不思議とポジティブな印象を維持した。

ビジネスの中での応答には目的が必要で、昨今では趣旨の設定されていない会議は毛嫌いされるほどだけれども、あの日の「お話しましょう」から始まった無為な時間は、今もぼくの記憶の片隅に残っている。

そして、その記憶はふしぎと良い感情とともに保存されてもいる。このことから、見ず知らずの人との雑談は、たしかに幸福をもたらすのかもしれないな、と感じている。

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