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【4600字レビュー】映画「マイ・オールド・アス ~2人のワタシ~」:過去と未来が交錯する青春の一瞬の輝きが素晴らしい

はじめに

2025年、映画界に新たな風を吹き込んだ作品がAmazon Primeに登場した。メーガン・パーク監督による「マイ・オールド・アス ~2人のワタシ~」である。この作品は、タイムトラベルというSF要素を巧みに取り入れながら、青春の輝きと成長の痛みを描き出す、独特な魅力を持つ青春コメディだ。Amazonプライム限定で配信が開始され、filmarksではトレンド1位となるなど、話題となっている。

本作は、2024年のサンダンス映画祭でプレミア上映され、観客と批評家の両方から高い評価を受けた。特に、主演のメイジー・ステラと、彼女の未来の姿を演じるオーブリー・プラザの演技が絶賛されている。なんとステラは新人女優ながら、エリオットの複雑な感情を見事に表現し、プラザは彼女特有のウィットと皮肉を交えた演技で、39歳のエリオットに説得力を与えている。

メイジー・ステラ

「マイ・オールド・アス ~2人のワタシ~」は、単なる青春コメディの枠を超え、自己発見と成長、そして人生の選択について深く考えさせる作品であった。本レビューでは、この魅力的な作品の細部に迫り、その独自性と普遍的なメッセージを探っていく。

あらすじ

18歳のエリオット(メイジー・ステラ)は、大学進学を目前に控えた自由奔放な少女だ。彼女は親友のローとルーシーと共に、故郷の湖畔で最後の夏を過ごしている。エリオットは、カナダのオンタリオ州にある人口300人未満の小さな町で、家族のクランベリー農場で育った。彼女は、この狭い世界から抜け出し、トロントの大学で「人生を始める」ことを心待ちにしている。

ある夜、3人で幻覚キノコを摂取した際、エリオットは39歳の自分(オーブリー・プラザ)と遭遇する。この予期せぬ出会いは、エリオットの人生観を大きく揺るがすことになる。

未来のエリオットは、若い自分に重要なアドバイスを与える。家族との絆を深めること、そして「チャド」という名の男性を避けることだ。しかし、好奇心旺盛なエリオットは、このアドバイスに従うことができず、チャド(パーシー・ハインズ・ホワイト)と出会い、牽制しつつも彼に惹かれていく。

エリオットは、自分のセクシュアリティについて疑問を持ち始め、家族の農場が売却されることを知り、人生の岐路に立たされる。彼女は未来の自分とのやり取りを通じて、自己発見の旅に出る。そして最終的に、39歳の自分のアドバイスに反して、チャドとの関係を深めることを選択する。

物語のクライマックスでは、未来のエリオットがチャドの運命について真実を明かす。しかし、若いエリオットは、たとえ短い時間であっても、チャドを愛することを選ぶ。この決断は、人生の喜びと痛みを受け入れる勇気を象徴している。

エリオットの旅は、現在を生きることの大切さ、そして未来への不安と過去への執着のバランスを取ることの難しさを鮮明に描き出している。

作品背景

「マイ・オールド・アス ~2人のワタシ~」は、メーガン・パーク監督の長編デビュー作だ。パーク監督は、以前に短編映画「Don't Come Back from the Moon」で注目を集めた。本作では、彼女の独特な視点と繊細な演出が、青春の複雑さを見事に捉えている。

メーガン・パーク監督と主演のメイジー・ステラ

パーク監督は、自身の経験から本作を着想したと語っている。彼女は、最初の子供の誕生後に故郷のカナダに戻った際、強い郷愁を感じ、それが本作の執筆につながったと述べている。この個人的な経験が、作品に深い共感性と普遍性をもたらしている。

撮影は、パーク監督の故郷に近いオンタリオ州のマスコカ湖畔で行われた。この美しい自然環境が、作品に独特の雰囲気と視覚的な魅力を与えていると感じた。

マスコカ湖畔

本作は、2024年のサンダンス映画祭でプレミア上映され、観客と批評家の両方から高い評価を受けた。Rotten Tomatoesでは90%の高評価を獲得し、Metacriticでも74点という好スコアを記録したとのこと。

独自のレビュー、考察

さて、ここからは当ブログ独自の考察をしていきたい。

1. 日常の中に宿る人生の真理

本作の最大の魅力は、大きな出来事や劇的な展開に頼ることなく、日常の中に人生の真理を見出している点だ。映画全体を通して、派手な事件や予想外の展開はほとんどない。代わりに、日常の些細な瞬間に焦点を当て、そこに深い意味を込めている。

エリオットとチャドの関係性の構築は、まさにこの日常の積み重ねを通じて描かれている。二人の会話、些細な触れ合い、共に過ごす時間の中で、徐々に深まっていく感情が丁寧に描かれている。この緩やかな展開は、実際の人間関係の発展をリアルに反映しており、誰にとっても強い共感を呼び起こす。

特に印象的なのは、エリオットが家族との関係を再評価していく様子だ。当初、彼女は家族や故郷から逃げ出すことだけを考えていたが、未来の自分との出会いを通じて、それらの価値を再認識していく。母親との関係性の変化は、多くの青春映画で描かれがちな母娘の対立を避け、互いを理解し合う過程を丁寧に描いている。

同時に、この日常の描写は、人生の真の価値が必ずしも劇的な出来事にあるのではなく、むしろ日々の小さな瞬間の中にあることを示唆している。これは、現代社会で見落とされがちな、生きることの本質的な喜びを思い出させてくれる。

2. タイムトラベルを通じた自己対話

本作のタイムトラベル要素は、単なるSFの設定を超えて、深い自己対話の機会を提供している。39歳のエリオットと18歳のエリオットの対話は、私たち一人一人の中に存在する、異なる年齢の自分との対話を象徴している。

この設定は、過去の自分を理解し、未来の自分を想像する機会を見ているものに与える。若いエリオットが未来の自分のアドバイスを聞きながらも、最終的に自分の道を選ぶ姿は、自己決定の重要性を強調している。同時に、39歳のエリオットが過去の自分との再会を通じて成長する様子は、私たちが人生の異なる段階で自分自身を理解し、受け入れていく過程を表現している。

このような自己対話は、観客に自身の人生を振り返り、将来の選択について深く考える機会を提供する。それは、単なる物語の装置ではなく、観客自身の内省を促す強力なツールとなっていると言えるだろう。

3. 「今を生きる」というメッセージの力

本作の核心は、18歳のエリオットが最終的に気づく「今を生きる」というメッセージにある。この気づきは、観客の心に深く響く瞬間だ。エリオットが未来の自分からのアドバイスを聞きながらも、最終的に自分の道を選ぶ決断は、人生における現在の重要性を強調している。

このメッセージは、単純でありながら非常に力強いものだ。未来を恐れ過ぎたり、過去に囚われたりするのではなく、今この瞬間を大切に生きることの重要性を説いている。これは、人生に迷った時に立ち返るべき原点を示唆しており、観客の心に「ずしん」と響く深い洞察を提供している。

特に、39歳のエリオットとチャドが再会するシーンの切なさは、この「今を生きる」というメッセージをより強烈に印象付ける。過ぎ去った時間は取り戻せないからこそ、今この瞬間を大切にすべきだという教訓が、観客の心に深く刻まれるのだ。

このシーンは、個人的には一番ココロに残ったシーンである。本作の中でも最も感動的な場面の一つだ。39歳のエリオットが、若い頃のチャドと再会し、彼を抱きしめる瞬間は、失われた時間と変わらぬ感情の狭間で揺れる人間の心を鮮明に描き出している。

4. 青春と成長の普遍的テーマ

「マイ・オールド・アス ~2人のワタシ~」は、青春と成長という普遍的なテーマを、新鮮な角度から描き出すことに成功している。エリオットの自己発見の旅、セクシュアリティの探求、家族との関係の再評価など、多くの若者が経験する課題が繊細かつ現実的に描かれている。

特に、エリオットが自分のセクシュアリティについて葛藤し、最終的に受け入れていく過程は、現代の若者たちが直面するアイデンティティの問題を鮮明に映し出している。彼女がレズビアンだと確信していたにもかかわらず、チャドに惹かれていく過程は、セクシュアリティが流動的で複雑なものであることを示唆し、固定的なラベルに縛られない自由な自己表現を肯定している。

また、故郷や家族との関係を再評価する様子は、多くの若者が経験する「独立と絆の再構築」というテーマを巧みに描いている。エリオットが大学進学を前に、故郷を離れることへの不安と期待、家族との関係の変化に直面する姿は、多くの観客の共感を呼ぶだろう。

さらに、本作は青春の儚さと美しさを見事に捉えている。エリオットとチャドの関係性は、夏の終わりと共に終わりを迎えることが予感されながらも、その瞬間の輝きと重要性が強調されている。これは、人生のある瞬間の価値は、その持続時間ではなく、その瞬間の深さにあることを示唆している。

これらの要素は、単に若者向けの物語というだけでなく、あらゆる年代の観客に自身の青春を振り返り、現在の自分を見つめ直す機会を提供している。それは、成長が一度きりのものではなく、人生を通じて続く過程であることを示唆しているのだ。

おわりに

「マイ・オールド・アス ~2人のワタシ~」は、タイムトラベルという奇抜な設定を通じて、青春の本質と人生の真理に迫る傑作だ。メーガン・パーク監督の繊細な演出と、メイジー・ステラとオーブリー・プラザの素晴らしい演技が、この物語に生命を吹き込んでいる。

繰り返しになるが、本作の真髄は、大きな出来事や劇的な展開ではなく、日常の中に潜む人生の真理を丁寧に描き出している点にある。エリオットとチャドの関係性の緩やかな発展、39歳のエリオットとチャドの再会シーンの切なさ、そして18歳のエリオットが最後に気づく「今を生きる」というメッセージは、心に深く響く。

特筆すべきは、本作が青春映画の常套句を巧みに避けながら、新鮮な視点で若者の成長を描いている点だ。例えば、エリオットの母親との関係は、典型的な対立構図ではなく、互いを理解し合おうとする過程として描かれている。また、エリオットのセクシュアリティの探求も、単純なカミングアウトストーリーではなく、より複雑で流動的な自己発見の過程として描かれている。

映像面では、美しい湖畔の風景が、物語に独特の雰囲気を与えている。夏の終わりの儚さを象徴するような光の使い方や、湖面に映る空の描写は、エリオットの内面の変化を視覚的に表現しているように感じた。

この映画は、笑いと涙、そして深い洞察を通じて、私たちに自己と向き合う勇気を与えてくれる。それは、過去を受け入れ、未来を恐れず、そして現在を全力で生きることの大切さを教えてくれる、心温まる物語だ。

自分自身の「古い自分」と向き合い、そして受け入れる勇気を与えてくれるのだ。人生に迷った時、選択の岐路に立った時、ぜひ見返してほしい一作だ。それは、あなたの心に「ずしん」と響き、新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれるはずだ。

最後に、本作が提示する重要な問いかけを挙げておこう。

もし18歳の自分に会えたら、あなたは何を伝えるか?そして、39歳の自分があなたに会いに来たら、どんなアドバイスを期待するか?



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