「分かる」ということの限界点

1月は結構なハイペースでnoteを書いていたが、一気にブレーキがかかった。その理由は、4月から研究生になったことで生活と仕事リズムが変わったことが大きい。

まあもっと言えばインプットの修行中か。

ここ4〜5年、実はかなり悩んでいた。新人時代は同時に修士課程に行き、それなりに「論」を積んできた。なので、実践自体はからっきしだが、それなりに(偉そうに)語る、論じる、記述することはできた。

いや、「できた」と思っていた。

しかし、ここ5年くらいから、実践の中で子どもの姿が見えてくるようになると、それに付随する「論」が見えなくなってきた感触があった。

なので、実践の後の「考察」がものすごく稚拙になってしまった。

実践はダメなのに、考察は自分なりに書ける
一方で
実践はそれなりになり、考察がダメになる。

この逆転現象の正体はいったい何だろう。

そう思い、確か2019年くらいから、本を読み漁ったり、こういったブログ形式のSNSに投稿しまくってアウトプットを頻繁にしたり、と試行錯誤していった。

しかし、アウトプットしていくうちに、あることに気づく。

それなりに自身の経験という実践を、言葉という「論」にできたかもしれないが、
ある飽和点を過ぎると、同じことを言葉を変えていっていることに気づく。

このnoteもそうだが、数は書いているけど、まあまあ同じことを、言葉と例示を変えて言っていることにすぎない。

とどのつまり、自分が蓄えてきた貯金を使い果たしたというか、自分が持っている見地の限界性に気づく、というか。

そうなってくると、実践を解釈する視点の少なさ、貧弱さ、稚拙さ、に気づいたわけですね。

実践者は、研究職ではない。学識という立場で、実践を切り出すわけではない。

しかし、目の前の子どもの姿をどう価値づけ、どの言葉を付与し、いかに論じられるかということに関しては、実践と研究の親和性は高いと最近は強く思うようになっているわけです。

つまり、おもしろよね、いいよね、だけでなく、いかに価値がある行為を子どもがしているのか、保育者である実践者が論じられないといけないと思うのです。

そうして、本などを読んでいるわけですが、なかなか思うようにいかない、何かを得られた感触がないまま4、5年の歳月が過ぎていったわけです。

そして、この4月から論文を書きたいとカクカクシカジカ会って研究生になりました。研究生というは、大学院ごとに規定は異なると思うが、修士課程と同等以上の資格をもった人を対象とした論文を書くための、まあゼミに入る、ようなものです。授業は基本、受けられません。

で、ここではまず論文を読んでレジュメを作るという作業をこの2ヶ月間やってきた。久しぶりの論文読解は、かなり困難で、まず用語が入ってこない。いちいち、調べる。時間がかかる。

最初は(いや、今もか)、10数ページの論文を読むのに数日間かかった(一日20分くらいかけて)。しかも、一読しただけでは当然、わからないので、さらに読む。調べる。

さらに、レジュメ作成段階でも、また読み込む。結局、レジュメ作りを開始して終わるまでに3時間は費やす。かなり大変だった。

これ、ずっとやるのか・・・(のちに、論文執筆にはなると思うが)と途方にくれた。

そんなことを1ヶ月、2ヶ月、やっていると、何となく、まだ何となくだが、論文という記述の仕方に少し慣れてきた。

それを最も感じたのは、保育の質に関する本と、省察に関する本、いずれも訳本で、古典的な書籍であるが、研究生以前に読んだ時には、全く頭の中に入ってこなかった。

訳本という読み辛さに要因を求めていたのだが、もちろんそれもあるとは思うが、要因は慣れと知識や用語理解の積み重ねだった。

劇的に・・・とはいかないまでも、少し、いやかなり「分かる」ようになってきたのだ。

「分かる」ってとても楽しい、ということに、気づいたのだ。

「分かる」の初歩の初歩であり、それがまだ自身の血となり肉となりという状態にはまだ当然ながら至ってないのはいうまでもない。

今の段階で言えるのは、学ぶということは、ある種、自分を高みに押し上げること。それは困難を極める。その困難な状況に自分を追い込めるかどうか、またそれを独力で行えるかどうかは、かなり難しいだろう。

また、単独で行うこともかなり難しいだろう。誰にアウトプットするのか、それに対して誰がスーパーバイズしてくれるのか、という循環を確保しないと、学びはなかなか生まれない。

仲間内でも可能かもしれないが、学びの幅と質は、指導してくれる立場にある人に左右される可能性があることはいうまでもない。


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