ストレス要素反すうの処理方法
反すうを起こさない環境に行くこと。反すうは人間の自然な感情。反すうのコントロールは本能に刺激を与えるレベルで反すうを起こす暇がない環境を選ぶこと。
反すう。同じことを何度も悩んだり、思い出してイラッとしたり、あたかも今起こったように感情が回帰される現象。
僕なりであるが、この反すうは慢性的ストレスの元になり、軽度の鬱や自己肯定感の低下に繋がっていると仮定している。大学時代多忙で眠れなくなった時、僕は反すうしていた他人から言われた不愉快な事に不快な思いをした。さらに、研究室のブラック現場で感じた不満が蓄積し、土日を楽しめない。イライラが常に脳内に回っている現象を経験している。さらに、高校時代の友人に相談を受けたことがあったが、彼は他人に言われたこと感じたことを何度も考え、悩み、改善策は何だろうかと枝葉のように深く長く考える人物だった。相談を受けて彼の自己肯定感の低さがうかがえたし、そんなに悩む事ではないのに悩んでしまっている。
反すうに意味はあるか?
ある場合とない場合があると思う
心身に健康なのは明らかに反すうをしないことであると仮定している
反すうをする際、自己肯定感が下がるものであれば絶対に反すうは良くない。何度考えても、自己肯定感を下げるだけ自己肯定感を下げるとは自分は出来ない認定で、解決できないためストレス。
対策としては割り切って、出来なくて良いと決めつけることだと思う。それが優先順位がたくなければ全部無視して良い。無視できないのが人間だと思う。その際は、反すうを起こさない環境に行く。思いっきり趣味に没頭したり。特におすすめしたいのは山に登ること。余計なことを考えたら滑落して死亡する。意図的に自分が反すうしない環境に持っていくことがポイントである。
僕は休日の朝一はトレランをしている。むろん、仕事のことは考えないようにしている。反すうは少ない。
反すうすべきなのは、成長できるような助言や今後役に立ちそうな情報だ。復習になって自分の記憶に残るような反すうは良い。人間関係の反すうはほとんど無駄であり忘れて良いと思う。忘れても誰も痛く無いなら大丈夫。
反すうをするのは、人間的であるとおもう。僕のような反すうをほぼしない人間はある意味冷淡である。怒られても気にしない。聞き流す。表面的に聞き流す。他人に聞く耳を持たず感情に左右されないため。だが、大きな目的のために反すうで負けたく無いからである。僕は他人に嫌われても、結果的にそれ以上に喜ばしい仕事ができるように、悩んでもしょうがない事は徹底的に忘れる。