Regeneration〜発生プログラムの再活性化〜
トカゲの尻尾切りという言葉がある。これは、立場の弱いものをスケープゴートに仕立て上げ、お偉いさんが責任から逃れるという意味で使われる言葉である。例えば、国会議員に何か不祥事があったとき、「秘書が!」と言って秘書に全ての責任を押し付け、秘書にドアノブ自殺をさせるのも所謂トカゲの尻尾切りに当たるだろう。尤も、公職選挙法では連座制が適用されるため、選挙不正などでこのような言い逃れは本来通用しないのだが--。このように、トカゲの尻尾切りという言葉には、相手にそれっぽいダミーを晒し、生命線を守るというニュアンスが込められている。
では、この言葉通りにトカゲは本当に自らの尻尾を切り落とすことがあるのだろうか。勿論、トカゲはこのような行動を実際に示す。尻尾を鳥などの捕食者に咥えられると、トカゲは自らの尻尾を切り落とし(これを自切と呼ぶ)、捕食者が尻尾に気を取られている間に自分は逃げるという戦略をとる。そして、なくなった尻尾は恢復し、見た目上はまた尻尾の生えたトカゲに戻るわけである(尾骨まで完全に元通りになるわけではないが)。このような自切現象はトカゲの専売特許ではなく、ナマコやカニなど他の動物でも普通に見られ、防衛行動のための適応戦略と考えられている。例えば、ナマコでは捕食者に自分の内臓を投げ捨て、ナマコ本体は捕食者から逃れる。勿論、敢えて自切を起こしているのだから、これでナマコが死ぬなんて間抜けなことはなく、投げ捨ててきた内臓を恢復し、また完全な体を構築する。このようにトカゲの尻尾やナマコの内臓は失われても恢復することが可能あり、失った器官や組織を発生プログラムを再活性化することによって修復する現象を生物学では再生と呼んでいる$${^{(1)}}$$。
我々人間から見れば、失った器官や傷付いた組織を大規模に修復する能力は超人的なものにさえ思える。私も子供の頃に畑で見掛けるミミズを悪戯半分に切っていたことがあるが、頭部の方は切られたことなんて気にせず普通に動いており$${^{(注 1)}}$$、初めてこれを見たときは驚いたものである。仮に人間にこのような高い再生能力があれば、ガンなどの病気になったところで、がん細胞のある臓器をごっそり切り取って、その臓器が再生するのを待てば良いことになる。こうなれば病気に悩む人もいなくなるが、残念ながら人間にはこのような再生能力は備わっていない。では、なぜミミズやナマコには驚異的な再生能力があるのだろうか。このような問いは数多の人々を魅了し、再生研究に駆り立ててきた。例えば、発生生物学者のオスカー・スホットは「再生の秘密を教えてくれるのなら、この右腕を捧げようではないか」とさえ言ったとされている$${^{(2)}}$$。
古典的な再生研究では人為的な切断、移植による再生の観察が主な実験方法であり、再生のメカニズムを明らかにすることは難しかった。しかし、近年では再生研究も分子的な側面で語るのが当たり前になっており、特に扁形動物のプラナリアでは再生の分子的機構がかなり分かってきている。つまり、種々の動物がなぜ高い再生能力を有しているのか、という問いに対する答えが少しずつ得られるようになってきているのである。同時に、それほど再生能力が高くない人間に対しても再生の医療的応用が試みられるようになってきており、再生医療という分野が花開こうとしている。
以上のことを踏まえ、本記事では再生現象のメカニズムをモデル生物の知見から軽く見ていくとともに、実用化の道を漸く歩き出そうとしている再生医療を概観する。今回も、最後までお付き合いいただければ幸いである。
1、モデル生物から見る再生のメカニズム
再生(regeneration)と一口に言っても、その特性やメカニズムは全ての再生現象で必ずしも同じではない。そのため、再生は幾つかのカテゴリーに分類されている。
先ず、再生は生理的再生と外傷的再生の2つに大別される$${^{(3)}}$$。生理的再生とは、正常な生理的過程で脱落・破壊されたものを補う再生のことを言う。例えば、ヒトの赤血球には寿命があり、約120日周期で赤血球は完全に入れ替わることが知られており$${^{(4)}}$$、このように自然な過程で起こる再生が生理的再生である。他にも、生理的再生として自然な状態における表皮の上皮細胞の修復なども挙げらる。これらの生理的再生を細胞レベルで捉えれば、多分化能性の幹細胞(stem-cell)$${^{(注 2)}}$$と呼ばれる細胞から血球や上皮細胞が分化するという機構に基づいていることが分かっている。つまり、自然な生理的過程で必ず脱落・破壊される組織が存在し、脱落・破壊された組織は多分化能性幹細胞により再生されるのである。このような再生はヒトでも普通に起こっており、生理的再生は全く以て特別なわけでないことがお分かりいただけるだろう。
次に、先ほど挙げたナマコやミミズの再生が属する外傷的再生を見ていこう。外傷的再生は生理的な過程で失われたものを修復するのではなく、怪我などの外的要因によって組織や器官が失われたときに起こる再生である。先ほどはヒト以外の動物の外傷的再生を述べてきたが、ヒトでも外傷的再生が起こらないわけではない。例えば、怪我をしたときに皮膚が元通りに治る現象や、切り取った肝臓が元の大きさに戻る現象(これを特に代償性再生と呼ぶ)は、外傷的再生の一種である。こう考えてみると、ヒトでもそれなりに外傷的再生が起こることが分かるが、他の動物種では勿論ヒトを遥かに凌駕する再生能力を示す。また、外傷的再生は更に幾つかの再生方式に分類され、全能性幹細胞を使った再生、付加再生、再編再生、代償性再生の4つにカテゴライズされる。これらの再生方式は、それぞれプラナリア、イモリ、淡水ヒドラ、ヒトの肝臓で最もよく研究されている。以下に、それぞれの再生方式の機構を見ていく。
プラナリアの再生能力は非常に高く、嘗てプラナリアを200断片に切り分けたところ、200個体のプラナリアになるという実験を行った人もいる。また、ショウジョウバエ研究で有名なT. H. モーガンも嘗てはプラナリアの再生研究をおこなっており、プラナリアの再生に何らかの極性因子が関与しているのではないかという仮説を提唱している。現在ではこの仮説もほぼ立証されており、頭部から尾部に向かうERK勾配、尾部から頭部に向かうWnt/β-カテニン勾配$${^{(注 3)}}$$が明らかにされている$${^{(5)}}$$。このような濃度勾配の影響により、プラナリアの体内中に存在する全能性幹細胞が活性化し、再生芽形成、損傷部位の再生という具合に再生が進行する。なお、先ほども造血幹細胞などの多分化能性幹細胞を紹介したが。これは限定的な分化能力しかなく、あらゆる細胞に分化するポテンシャルは既に失っている。しかし、プラナリアの全能性幹細胞は全ての細胞に分化する能力があり、有体に言えば受精卵と同じ状態にある。つまり、プラナリアでは受精卵と同等の全能性幹細胞を用いて、失った器官や組織をまた一から作り出しているわけである。この幹細胞の存在はヒトから見れば羨ましい限りであるが、プラナリアのこの幹細胞が発生の過程でどのように作られているのか、そしてこの幹細胞から種々の細胞にどのように分化していくのか(細胞系譜)は未だ明らかにされていない。そのため、プラナリアの素晴らしい再生能力に関しても、未だ謎は残されているのである。
プラナリアに負けず劣らず、淡水ヒドラの再生能力も非常に高い。ヒドラの面白いところは全身の細胞が常に生理的再生をしている状態にあるということで、一定周期で体の全細胞が入れ替わるようになっている。勿論、外傷に対する再生能力も非常に高く、何と細胞レベルまで乖離させても、また細胞が集まって一つの個体になる。しかし、淡水ヒドラにも間細胞という幹細胞が存在するものの、プラナリアのようにこの幹細胞を必ずしも再生に利用する必要はない。例えば、淡水ヒドラを口丘付近で切り落とすと、元々あった細胞を再配置させて口丘を再生することが知られている。このように、細胞分裂を伴わずに、元々あった細胞を利用して体を再構築する再生を再編再生と呼んでいる。再編再生のメカニズムを見ていくと、淡水ヒドラでは頭部から分泌される頭部形成促進因子と頭部形成抑制因子、足盤から分泌される足部形成促進因子と足部形成抑制因子の濃度勾配によって調節されていると考えられている。ただし、頭部形成促進因子の方はWnt/β-カテニンとNodal様因子(Ndr)$${^{(注 4)}}$$らしいことが分かっている$${^{(6)}}$$が、他の因子はペプチド分子が該当しそうだという程度のことしか分かっていない。そのため、プラナリアと比べると、未だ未だ再生の実態は不明な状態である。加えて、必ずしも再編再生しか起こさないわけではなく、場合によっては細胞分裂を伴う再生もあると思われるが、詳しいところは今後も調べてみる必要性があるだろう。
プラナリア、ヒドラとヒトからは系統的に遠い動物を見てきたが、いよいよ脊椎動物であるイモリに焦点を定めることにしよう。イモリは脊椎動物でありながら再生能力が非常に高く、失った手足を再生することができる。人間も事故や病気で失った手足を再生できれば良さそうであるが、残念ながら人間にはこのような芸当はできない。同じ脊椎動物でありながら、なぜ再生能力に違いがあるのだろう。イモリの再生はプラナリアともヒドラともまた違ったもので、付加再生と呼ばれる再生方式で再生を行う。イモリの足を切断すると、ヒトが怪我をしたときと同様に表皮の細胞が傷口を封鎖する。そして、破壊された組織の細胞が脱分化、すなわち最終分化した細胞がまた分化可能な状態へと戻り$${^{(注 5)}}$$、再生芽を形成する。この再生芽中の細胞が胚発生時と同様の機構で増殖・分化を繰り返して、元の足が再生されるのである。このように、幹細胞を使用せず、元の細胞を脱分化させ、その細胞から失った器官や組織を再生する方式を付加再生と言う。ただし、付加再生における分子的機構は不明な点も多く、神経繊維から分泌される何らかの因子が作用し、FGF8が再生芽細胞の増殖を促していると考えられている。また、再生芽形成の際には生物電気信号が関与している可能性も示唆されており、細胞中のプロトンポンプが膜電位の分極を促しているとのことである。こういった点で、両生類の再生機構も未だ謎に包まれている。
さて、お待ちかねであろうヒトの肝臓の再生に関する話をしよう。ヒトの肝臓は再生能力が高い唯一の器官であり、移植のために一部切り取ったところで、また元の肝臓になるということは恐らく多くの人がご存じだろう。肝臓の再生はこれまで見てきた再生とはまた違った方式で、幹細胞や脱分化した細胞を利用することはない。では、どのようにして再生するのかと言うと、最終分化した肝細胞が細胞分裂することで元の組織を再生するという方式になっている。つまり、何らかの外的要因に要因によって肝臓の一部が失われると、本来は細胞分裂が休止した状態にある肝細胞が細胞周期を再開させ、肝細胞の数を増やしていくのである。このような再生方式を代償性再生と言う。代償性再生のシグナル経路としては、HGF, TGF-βが関与していると考えられており、これらの因子が細胞分裂を促進させるサイクリンB, Dといった分子を活性化させていると考えられている$${^{(注 6)}}$$。なお、代償性再生にはバックアップシステムも存在しており、肝臓が深刻なほど破壊されたときは、休止状態にある肝前駆細胞が活性化するようになっている。このように、代償性再生では幹細胞をしようすることなく、細胞周期の調節によって再生を行なっている。
これまで見てきたように、動物の再生はその機構に着目して主に2つの方式に分けられる。1つ目は生理的再生やプラナリアの再生がそうであるように、幹細胞を利用して再生を行う方式である。2つ目は再編再生や代償性再生がそうであるように、分化細胞を利用して再構築を行う方式である。しかし、分化細胞を利用した再生には限界があり、ヒドラも損傷が激しい場合は再編再生以外の再生を行うし、代償的再生もヒトの肝臓など限られた器官でしか行われない(勿論、これはこれで驚くべき再生システムなのだが)。そのため、再生研究を応用の立場から捉えようとした場合、やはり幹細胞を如何に作るかというアプローチの方が主流である。次節では、再生医療における幹細胞的アプローチを概観する。
2、再生研究の人への応用
先述したように、人へ再生研究を応用しようとした場合、如何に幹細胞を作るかというアプローチがとられる。しかし、ヒトには造血幹細胞や神経幹細胞といった多分化能性幹細胞しかない。そこで、一度分化してしまった細胞から再び未分化な細胞を作り出すという、言わば付加再生における脱分化のような操作をしようというのが再生医療における試みである$${^{(注 7)}}$$。
こんな話をすると、ヒトの細胞でそんな操作が可能なのかと思われるかもしれないが、決してできないわけではない。何かと話題に上がるクローンも、或る意味では人為的に細胞を未分化な状態に戻す操作から始まる。具体的には、分化した細胞の核を取り出し、それを核を取り出した卵母細胞に移植することでクローンを作っている。すなわち、未分化な状態の細胞の力を借りて、分化した細胞の核を再プログラムすることで、核の情報を再び未分化な状態に戻すというわけである。このようにしてできたのがかの有名なドリーである。クローンを作り出すことができれば、遺伝的にはその人と同じであるのだから、クローンから臓器を拝借する(借りパクのようにはなるが)ことも可能である。しかし、これは由来の異なる分化細胞と未分化細胞の2つの細胞を必要とし、核と細胞質の相互作用により成功率は極めて低い技術である$${^{(7)}}$$。そのため、クローンというものが何かと毛嫌いされる風潮があるが、そもそもクローンという技術は極めて不安定な技術であり、将来的に利用される可能性は現実点で限りなく低いのである。--
クローンは或る意味同じ個体を生み出そうという試みであるが、それとは異なったベクトルの技術に胚性幹細胞(ES細胞)がある。ES細胞は、哺乳類胚の内部細胞塊という細胞を取り出し、それを適当な培養条件下で培養することによって得られる。胚の細胞は分化能が非常に高いことから、当然ES細胞もその分化能は非常に高い。実際に、培養したES細胞を別な受精卵に注入することで、ES細胞が胚体のあらゆる細胞に分化することが分かっている。このように、人為的に生み出された多能性幹細胞を特に万能性幹細胞と言って区別される。しかし、ES細胞もまた本来の胚を殺す必要性があるし(日本では胚を生命と見做すことは少ないため、厳密に殺すという定義が正しいかは疑問がある)、ES細胞を別な胚に注入することでその胚はキメラになってしまう。それゆえ、ES細胞は技術的には安定性があるが$${^{(注 8)}}$$、胚を生命と見做す欧米を中心に倫理的な問題が議論され、ヒトではES細胞の使用にかなり制限が設けられている。
同様に、万能性幹細胞に属するものにiPS細胞がある。iPS細胞はノーベル賞の対象にもなったため、名前をご存知の方も多いと思う。iPS細胞は皮膚の上皮細胞などでSox2, cMyc, Oct4, Klf4の4つの転写因子を強制的に活性化させることで、細胞の分化能を逆戻りさせたものである。このことから、iPS細胞は成体の細胞を利用した万能性細胞であると言え、ES細胞のように胚を殺すことなく万能性幹細胞を作り出せる。つまり、ES細胞に付随する倫理的な問題は一切なく、iPS細胞を使うことへの躊躇いはほぼないのである。これだけ聞くと夢のような細胞に思えるかもしれないが、そんな単純な話では終わらない。実は、iPS細胞を作る際に強制発現させたcMycはガン原遺伝子でもあり、時に細胞のガン化を招く危険性があると考えられている。そういった点で、iPS細胞はES細胞と比べて技術的な安定性が低い側面を持ち、臨床的な応用は実用的な段階に達しているとは言えない。また、仮にこの問題を克服したとしても、iPS細胞を目的とする器官へ分化させるためにはそれだけの時間が必要であり、急性疾患などへの治療には使えないという問題もある$${^{(8)}}$$。加えて、そもそもiPS細胞から目的とする器官を作り出す技術も不安定な部分があり、果たしてiPS細胞から移植に耐えうるような器官を作れるのかという課題もある。こう考えてみると、iPS細胞は一見すると夢のような幹細胞に思えるが、残念ながら実用的には未だ未だ未熟な技術と言える。
以上のように、再生研究を医療分野へ応用しようと考えた場合、課題は山積みであり、とても臨床的に使える段階へ達しているとは言えない。それゆえ、これらの技術を実際に使おうとするのなら、細胞の初期化に関する基礎研究が重要であるし、またES細胞やクローンに付随する倫理的問題を議論していかなければならない。しかし、このような研究や議論が進展し、且つ万能細胞から器官を誘導する技術が磨かれれば、いつの日か事故や病気で失ってしまった器官を簡単に作れる日がくるかもしれないのである。
3、終わりに
これまで、動物における再生現象を分子的メカニズムから見るとともに、ヒトにおける再生医療の現状を概観してきた。
さて、皆さんはこれらを見てきて、何を感じただろうか。プラナリアやイモリの再生能力に感心し、ヒトでもこれほどの再生能力があったらと思われたかもしれない。或いは、ヒトの肝臓の再生能力がなぜ心臓や他の器官にないのかと思われたかもしれない。または、現状課題の多い再生医療に将来的な希望を持たれた方もいらっしゃるかもしれない。何れにせよ、プラナリアやヒドラの持つ脅威的な再生能力に魅力を覚え、ヒトを始めとした哺乳類でもこのような高い再生能力があればどれほど良いかと考えることと思う。そう言った意味で、再生医療は大きな希望を与えるものである。
しかし、先ほども述べたように再生医療には課題が多い。先ず、技術的な問題を克服するためには、他のモデル生物における再生現象の解明(私はこちら側の人間です)や分化細胞の初期化が行われる仕組みといった基礎研究的なアプローチが必須である。また、なぜヒトを始めとした哺乳類ではダイナミックな再生が行われなくなったのかを問い続けることも重要であろう。個人的な見解を述べさせてもらえれば、哺乳類では細胞の役割分担が複雑化し、プラナリアのように全能性幹細胞を利用することや、ヒドラのように残った細胞から組織を再構築することができなかったのではないかと考えている。勿論、それなら代償性再生がなぜ肝臓でのみ観察されるのかという謎は残り、やはり基礎研究を今後も行い続けていかなければならないことが分かる。そして、これらの技術的問題が仮に克服されたとして、臨床的に再生医療を行おうとする場合は、当然ルール作りが必須である。無闇に再生医療を行っても、思わぬ結果が表われる可能性がある。それゆえ、再生医療を臨床的に利用するのなら、生命倫理や生命観に基づいたルール作りを避けることはできず、そのルール作りはオープンな場で行われるべきである。つまり、誰もがルール作りの議論に参加し、きっちりとしたルールを多くの人の同意の元に定める必要性があると思う。こうした点が守られるのなら、ひょっとして再生医療は明るいものを齎してくれるかもしれない。……
大分長い記事になってしまったため、この辺で筆を置くことにする。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。ご意見、ご感想等がありましたら、気軽にコメントをください。
注釈
(注 1):土壌中に見られるミミズは切られても、頭部の方には再生能力があるため、頭部のあるミミズは再生する。一方、後頭部の方には再生能力がなく、こちらの方は再生することなく死んでしまう。しかし、ヤマトヒメミミズでは2つの断片両方からミミズが再生することから、ヤマトヒメミミズは再生研究の立場から近年注目が集まっている。
(注 2):我々の体を構成する細胞は、通常別な細胞に変化することはない。例えば、皮膚の細胞が目の細胞になることはないわけである。しかし、個体発生から明らかなように、皮膚の細胞も目の細胞も元はたった一つの受精卵に辿り着く。そうなると、受精卵にはどんな細胞にもなり得るポテンシャルがあるにも関わらず、発生の過程で細胞はどんどんそのポテンシャルを失って行き、遂には他の細胞にはなり得ない状態になるわけである。この現象を細胞分化と言う。しかし、分化した細胞しか存在しなければ、血球や皮膚の上皮などの生理的再生の激しい細胞を常に作り出すのは不可能である。ここで登場するのが幹細胞である。幹細胞は限定的な幾種類かの細胞に分化するポテンシャルを有しており、例えば骨髄中の造血幹細胞は赤血球、白血球、マクロファージといった血液・リンパ液中の細胞を作り出すことが可能である。つまり、我々の体は完全に分化した使い捨て状態の細胞と、分化能を限定的に有する幹細胞から構成されている。なお、幹細胞はポテンシャルの違いから全能性幹細胞(全ての細胞に分化可能)、多能性幹細胞(多くの細胞に分化可能)、多分化能性幹細胞(造血幹細胞など)、単能性幹細胞(精原細胞など)に分類される。
(注 3):Wnt/β-カテニン経路は、進化的に非常によく保存されたシグナル伝達経路でもある。例えば、ウニ胚では植物極側にディシュベルドが局在化しているが、このディシュベルドの存在によりWnt/β-カテニン経路が活性化し、植物極端がシグナルセンターとして作用するようになる。また、両生類胚でも同様の現象が観察されており、いわゆるニューコープセンターでこのシグナル伝達が働いている。そして、驚くことにヒドラの頭部領域にもWnt/β-カテニンの発現が観察されており、このシグナル伝達経路が如何によく保存された経路であるかが分かると思う。
(注 4):Nodalもまた脊椎動物の発生で重要な因子になっている。我々の心臓が左側に寄っているのを見れば分かるように、動物では左右の細胞の配置も重要である。この左右の細胞配置を決める際に、shh(ソニックヘッジホック)から始まるカスケード反応が不可欠となる。shhを始まりとして片側ではNodalが活性化され、最終的にはPit2が発現する。しかし、もう片側ではshhがアクチビンによって抑制され、Nodalは活性化されない。このような機構によって、脊椎動物は左右の器官配置を行なっている。淡水ヒドラでも出芽の際にNodal様因子(Ndr)が関与し、Ndrが活性化した領域に新たな頭部が形成される仕組みになっている。ヒドラと脊椎動物では系統的に随分と離れているが、ここでもまた思わぬ共通点があるのである。
(注 5):脱分化した細胞とは言っても、多能性、或いは多分化能性を獲得するわけではない。例えば、脱分化した筋細胞は筋細胞にしか分化せず、決して真皮細胞などに分化することはない。つまり、脱分化した細胞は細胞記憶(Cell memory)を維持した状態で、前駆細胞のような状態に戻ったに過ぎないのである。
(注 6):ヒトの体を構成する多くの細胞では、基本的に細胞分裂は余り盛んではない。これは、細胞がG1期という細胞分裂の休止状態にあるためである。細胞分裂を行うためには、DNAを複製するためのS期に遷移する必要があるが、そのためには制限点と呼ばれる特別な地点を通過しなければならない。制限点を通過するためには、サイクリンとCDKの複合体サイクリン-CDK複合体を細胞内に蓄えなければならない。それゆえ、細胞分裂を行うためにサイクリンは必須のタンパク質である。
(注 7):厳密に言えば、再生医療における脱分化作用と付加再生における脱分化作用は異なるものである。先述したように付加再生における脱分化は多能性を恢復するものではないが、再生医療における脱分化は基本的に多能性を有する。すなわち、あらゆる細胞に分化可能な状態にリセットするのである。これは遺伝子におけるエピジェネティックな制御を解除することに由来し、遺伝子の発現状態をリセットすることで幹細胞を作るのが再生医療における幹細胞である。詳しい説明はここで避けるが、興味がある方は文献(2)や(7)に当たって欲しい。
(注 8):ES細胞もかつては、技術的に問題がある点もあった。それは、ES細胞の由来が別な個体にあるということであり、ES細胞から生まれた器官を移植しようとすると、移植した器官を異物として攻撃してしまう免疫拒絶の問題があった。しかし、最近ではクローンES細胞、つまり患者の体細胞を卵に注入し、その卵を発生させることで、内部細胞塊からES細胞を作るという技術が提唱されている。これなら、ES細胞は患者由来の細胞であるため、免疫拒絶の問題は回避される。とは言え、その煩雑な操作から、実用的には行われていない。
参考文献
(1):B. I. Balinsky; 林雄次郎(1969). バリンスキー発生学. 590, 岩波書店.
(2):Scott. F. Gilbert; 阿形清和, 高橋淑子(2015). ギルバート発生生物学. 555, サイエンスメディカルインターナショナル.
(3):巌佐庸, 倉谷滋, 斎藤成也, 塚谷裕一(2013). 岩波生物学辞典 第5版. “再生”, 岩波出版.
(4):菅野仁, 藤井寿一(2007). 寿命を終えた赤血球の処理機構–赤血球膜に出現する貪食目印分子に関する最近の知見–. 膜 32, 139-146.
(5):梅園良彦; 西村尚子(2013). プラナリアの頭と尾が、 正しい方向に再生される分子メカニズムを解明!. nature careers.
https://www.natureasia.com/ja-jp/jobs/tokushu/detail/303
(6):Hiroshi Watanabe, Thomas W. Holstein et al(2014). Nodal signalling determines biradial asymmetry in Hydra. Nature 515, 112-115.
(7)Bruce Alberts, Alexander Jhonson, Julian Lewis, David Morgan, Martin Raff, Keith Roberts, Peter Walter; 中村桂子・松原謙一(2017). 細胞の分子生物学 第 6 版. 1252, Newton Press.
(8)高橋政代(2009). iPS 細胞の可能性と今後の課題. 学術の動向, 8-14.