難易度
1年前くらいから、もう10年以上やっていなかったゲームをちょくちょくやるようになった。きっかけになったのはモンスターハンター アイスボーン という作品だが、ブランクもあり一通りクリアした後は、なんだか作業みたいに感じてやめてしまった。
しかしまあ、せっかくPS4も買ったわけだしなんかやれるゲームないかな、と思い、ネットの評判なんかを見ながらダークソウルというアクションゲームを買ってみた。
ゲームをやる人の間ではいわゆる、死にゲー、と言われるジャンルに相当するようで、非常に難易度の高いゲームとして知られている。
で、実際やってみると噂どうりかなり難しい。何度も何度もゲームオーバーになる事が前提の作りで、ゲームがあまり得意ではない人用にイージーモードがあるわけでもなく、どうすれば攻略できるか自分で試行錯誤して、自分にあったやり方を見つけて進めて行かなければならない。あまりにボスが倒せなくて苛立ち、コントローラー投げ捨てたことも一度や二度ではないし、悪夢のように夢の中でもダークソウルをやっていたこともあった。
それでもしばらくすると、またやりたくなって、違う武器でやってみようとか、魔法使ってみようとか、また試行錯誤を繰り返しながら進めていくと、ちゃんとクリアできるようになった。
そして、クリアした時のえげつない達成感に心打たれ、完全にはまった。
なんて素晴らしいバランスのゲームなんだろう、これ作った人天才だろ、とかありとあらゆる賛美の言葉が脳内を駆け巡る。さっきまで決して他人には聞かせられないような様々な悪態をつきながらゲームをしていたにもかかわらずである。
その後はダークソウル1.2.3と各ダウンロードコンテンツ、同じソウルシリーズに位置するブラッドボーンの4作をプレイするどハマりぶりをみせつつ、今はゲームは特にやっていない。
10年以上ゲームをやっていなかった人間にこれだけ、ゲームって素晴らしい!楽しい!と、思わせてくれたダークソウルシリーズは間違いなく素晴らしいゲームだが、一番素晴らしいと思ったのは、難易度や壁の高さが必ずしも人の心を折ったり、諦観を植え付けたりするわけではない、と教えてくれたことだ。
自分の成長を実感できる、やり方次第で自分が望む成果を得ることができる、そしてそれが言葉にはせずともしっかり提示されている、それだけでどんな高い壁も試練も鬼のような難易度も楽しみに変わってしまう。
そう考えると、報われない努力や徒労なんて言葉と一塊になってしまった実人生は死にゲーよりもよっぽど死にゲー的だなと感じてしまう。
まるで賽の河原の住人にでもなったかのような気分だ。