聴解の指導について?
聴解と会話の指導ほど頭を使うものはないだろう。
これらをルーチンで気楽に出来ているという先生がいたら是非話を伺ってみたい。
今回は聴解の指導についての話だ。特に素晴らしいテクニックの披露のようなものは書かれていないので、期待された方には先におわびしておく。
聴解の指導が難しい理由はいくつもあると思うが、発音や語彙文法の意味のようにとりあえずはっきりした答えがあるものと違い、聴解力は単純に音に触れてきた絶対量と自分が聞きたいレベルの内容に見合った文法・語彙理解が必要という点がまず挙げられるだろう。文法などの指導であれば媒介語などを用いて説明を完了することができるが、聴解の場合は、音を脳が理解可能な内容に変換するプロセスという教師が介入できない領域があり、極端な話、学生に自分で頑張ってもらうほかないのだ。
また、私は聴く力は発音の力と表裏一体であり、自分の口で言えないものは決して聞き取れないと考えているのだが、果たして発音から丁寧に教えたり学んだりする必要性が認識すらされている日本語学校がどれほどあるだろうか?私の印象では、日本語学校は国内外問わずとりあえず学生がみんなの日本語2冊を終了したという体裁を取りたいし、学生も毎日何かしら学習が進んでおり、N3でも取れればゴールというくらいに考えている節がある。発音の指導にまとまった時間を割いている学校は稀であり、従って、そもそもクラス内に聴解にまともに取り組める段階に達している学生が少ないことが聴解を教える難しさの原因だろう。
それでも、『聴解タスク』などの聴解教材を用いた指導はまだ易しいほうである。学生のレベルに応じ指導内容を変えられるからだ。レベルの高い学生ならいきなり問題を解かせあとから聞いた内容を再構成させるなりディクテーションさせるなりできるし、まだその段階でない学生には前作業からしっかりやればいいのである。レベルが混在したクラスでは、まずレベルが低い学生に合わせて授業を行えば事故はないだろう。
これがJLPTなどの試験対策となると事情は変わってくる。
試験はいきなり問題が流れて、それを解かなければならないので、内容に関係のある話題から入って語彙と文法を導入したうえでゆっくり取り組むような指導はできない。その一方で、「語彙力と文法理解と正確な発音と練習の絶対量が全てです。以上!」と言い放って終わり、でも指導とは呼べない。一度聞かせた後プロジェクターに答えを移し、合ってたら○をしましょう、というのも指導ではなくただの採点係だろう。
私は現在JLPTの聴解の対策講義の設計を任されており、しかも学生が一方的に見る動画形式なのである。いったいどうすればいいのか?と思ってこの記事を書いたのだ。この記事は何とここで終わる。