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私がnoteを書いている理由は認知的不協和(かもしれない…)
『バカと無知』面白いのでオススメです
「バカと無知」という本を読んでいます。夢中になって読んでいます。久しぶりに休日の予定をキャンセルして家にこもって読書しています。自分への理解を深めるという意味で現代人必読の書です。
“認知的不協和”について
本の中で認知的不協和について書かれています。本の内容のメインではないですが。自分が陥っている状況かもなと懸念を抱いたので今回記します。
認知的不協和とは。
人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
とても簡単にいうと、矛盾した2つの認識をすると、めちゃめちゃストレスがかかる。そのストレスを避けるために、新しい認識を追加するか、または自分の行動を変化させるか、具体的なアクションをとってストレスを回避する様に行動する。ということです。
認知的不協和 具体例 ラーメン
ラーメンに対して下記2つの認知をしています。
認知1 美味しいのでラーメンを習慣的に食べる
認知2 とても太りやすく体によくない
↓
これが矛盾した認知を抱えている状態=めちゃめちゃストレス、したがって人間は回避するために行動変化・認識変化を行う。
↓
回避策1 ラーメンを食べる回数を減らす →美味しいラーメンが食べれずにストレスになる、大体の人たちはちがう回避策に移行する
↓
回避策2 太らない様に運動習慣を追加する →運動するというストレス
または
回避策3 別に太っても、体に悪くてもいいという価値観になる
認知的不協和の何が問題かというと、無意識的にネガティヴな回避策を実行してしまっていないかということ。ラーメンの例で考えると、回避策1、2で対応できれば問題ない。しかし、回避策3で対応するのは果たしてよいことでしょうか?
認知的不協和 悪影響例 被害者叩き
一般的に事件が起きると被害者と加害者が存在します。その事件のニュースのコメント欄で度々被害者が叩かれることがあります。これは無意識的に認知的不協和が働いています。
ニュースを見ている人たちの中で“認知1事件を許せない”という意識があります。一方で事件の処遇等に不満があったりすると(例 加害者の罰が軽いなど)“認知2事件の落とし所が不満”という認識にいたります。この”認知1”と“認知2”の矛盾した状態がストレスになってしまっているので、なんとか対処しなければという人間の本能から、“結果 被害者に落ち度があると考えて=叩く”という行動につながっています。被害者に落ち度があると考えると認知1がなくなるので。
認知的不協和を自己認知しないと正しい対応がとれない
冒頭で私がnoteを書いている理由が認知的不協和かもしれないと書きました。私はファッションの記事をnoteでよく書きますが、ファッションを無理矢理に正当化するために書いている可能性があります。
合理的、効率的に生活するという行動規範を自分の人生で設定しています。しかし、それに背反しているのが趣味ファッションです。自分で決めた行動規範と趣味としてファッション・オシャレをするという矛盾が深層心理で私にストレスをかけているのかもしれません。ストレス回避のためにnoteで発信するというアクションをとっているのかもしれません。
まとめ 自分の認知的不協和を理解しよう
認知的不協和に対する間違った回避はとても危険です。例えば、好きな人ができた時に振り向いてくれない場合、その好きな人をわざと嫌いになって悪い噂を流す。ということをする方も中にはいるかもしれません。これも認知的不協和への対策ですが、正しい対策とは言えません。
あなたがやっている認知的不協和への対策の数々は果たして正しい対策でしょうか?
人は知らず知らずのうちに認知的不協和によるストレスを受けている。そして無意識的に間違った対策を行っている可能性があります。今後は自分の行動に対して認知的不協和の間違った対策になってないかというのを一つずつ確認していきたいと思います。
このnoteを書くという習慣も認知的不協和への正しい対策となる様に気をつけます。
PS
『バカと無知』面白いので本当におすすめです。