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言語化っていつも必要ですか?

言語化、言語化、言語化。

やたらと、「言語化」が叫ばれている気がする。

個人が情報発信をする時代。
SNSの影響だろうか。

実際私も、「言語化の練習」のために、このnoteを利用していたりもする。

「言語化」とは、感じていることや考えていることを、具体的な言葉や文章として表現する、といった意味のようだ。

でも、本当にそれだけだろうかという話。

昨日、私の住む福岡で「福岡国際マラソン」が開催された。
優勝したのは、駅伝の名門青山学院大出身でGMOの吉田祐也選手。しかも、大会新記録と日本歴代3位という素晴らしすぎる記録を残した。

レース後のインタビュー。
インタビュアーに振られた瞬間、彼は声を詰まらせた。
そして話を始めたが、第一声から心をわしづかみにされた。

「2020年に初優勝してから、つらかったこと、悔しかったことが多くて、言葉にできない」

その後の質問には、気丈かつ冷静に答えていたが、インタビューが終わるとすぐに
手で顔を覆い、声を殺して静かに泣いていた。
かみしめるように泣き続けていた。

数分間、その様子を映したままTV中継は終わった。

すごい余韻だった。

私のそれまでの吉田選手の印象は、

・シンプルな言葉づかい
・無駄のない言葉づかい
・淀みない話し方

つまり、「言語化」がうまい選手だと思っていた。調べてみると読書家らしく、納得できた。
そんな彼が、昨日は開口一番「言葉にできない」と言った。

重かった。
深かった。
伝わってくるものがあった。

吉田選手は、2020年の社会人1年目にこの大会で優勝している。
でもその後は、重要な大会に多く出場するもなかなかいい結果を残せていなかった。

そのたびに「吉田、また今回もよくなかったな。大丈夫なのか・・・」と私も思っていた。彼は暗くて長いトンネルから抜け出せずにいた。

「言葉にできない」
文字にすると7文字。

辛酸をなめ続けてきたこの4年間を表すのに、これ以上ない言葉。

吉田選手の極限までにそぎ落とした「言語化」を見せつけられた気がした。

先日、こんな記事を書いた。
子どもが生まれた日の感情を綴ったものだ。

書いたのだが、書き切れていない気持ちが残っていた。
言語化できなかった部分があった。

今年の1月、帝王切開で子どもが生まれた。
子どもと先に対面し、オペ後の妻と会うまでは、家族待合室で待機していた。
待合室にいた時、しばらく涙が止まらなかった。
私も吉田選手と同じように、静かに泣いていた。

その時の感情が、どうしても言語化できなかった。

でも必ずしも、具体的な言葉や文章で表さなくてもいいのかもしれない。

「言葉にできない」

とりあえず、いまはそれでもいい。

吉田祐也選手、気づきをありがとう。

そして、優勝おめでとうございます。

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