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叱るんじゃなくて一緒に反省しては?

「私をそんな風に育てたのはパパとママなんだから、私を叱るんじゃなくて、私と一緒に反省しては?」と反省を促された。

清々しいまでに、責任転換が突き抜けている。

まだ私を論破できる程ではないけれど、私の妻(娘にとってはママ)を言いくるめる程度に、口だけは一人前に成長した。

いつも標的にされる妻からチクられると同時に、「あなたに似たんだから、似た者同士で話をつけて」と責められる。

私は、どういった論法で応戦しようかと頭をひねる。応戦するからいけないのでは?とも、うすうす気付いている。

この意味で、私が「反省すべき」という主張が正しい面もあると認めてはいる。


誰が言うかによって受け入れられるかが変わる主張がある

海外の事情についてはよく知らんけど、少なくとも日本にはそういう傾向があるよねという話。

(嘘つき村のクイズやら、自己言及のパラドックスやらの話は、ややこしいのでいったん忘れて)

例えば「失敗は水に流せ」や「罪を憎んで人は憎まず」という発言がある。許す側が言うから許されるのであって、許される側が言うのは許されない感じがする。

文章がややこしくてごめん。許して。

これと同じで、娘の言う「反省しては?」も、第三者が私にアドバイスする場合は許されるけれど、本人が言うのは「自分のことは棚に上げて、どの口が言うてんねん」という話になるんやで。

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odapeth
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