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夫婦で飲みに行けるのが良いのか?
私の飲み友界隈でよく挙がる話題。
独身の人に対して、年配既婚者が「結婚するなら一緒に飲みに行ける人がええぞ」と言う状況がある。このご時世に「ふてほど」(←初めて言った)な発言ではあり、大きなお世話ではある。
それでも、この発言の背景には自分の人生で得た教訓から、過去の自分に助言するような深い話にも思える。
私の見解として、夫婦で飲みに行けるのは素敵だと思う。だけど、他に素敵な時間の過ごし方があるならば、別にお酒じゃなくてもいいと思う。実際に、妻はお酒を飲まない。
他のことに関してもそう考えている。例えば、いかにも昭和らしい教訓として、「営業たるものゴルフをたしなめないと昇進できないぞ」がある。
現状はそうせざるを得なかったとしても、あるべき論で言えば、それぞれが好きなことやって繋がりたい人が繋がる方が望ましいと思う。ゴルフも素敵だけど、水泳でも、バンドでも、酒でもよい。
仕事の人間関係は思い通りにコントロールできず「従わざるを得ない」側面もある。だけど、夫婦くらいは、主体的に素敵な在り方を探りたいもの。
個人から分人へ
昨年、本で読み面白かった概念として「分人」なるものがあった。
唯一無二な「本当の自分」という概念を捨てて、関わる相手の数だけ自分があって当たり前と捉える。個人(individual)を分けて分人(dividual)という概念が提唱されている。分人の総和がその人となる。
多重人格ではなくても、家族と過ごす自分、学生時代の友人と遊ぶ自分、職場の自分、趣味に打ち込む自分の振る舞いがそれぞれ違うのは当然だろう。
1つだけが「本当の自分」で、それ以外を「偽りの自分」と言うとしたら、寂しいだろう。
話は戻って、「夫婦で飲みに行ける方が良い」論者は、「本当の自分は酒飲み」だから夫婦間でも貫かねばという個人主義(←分人主義との対比)に思える。
もちろん、私の中にいる「お酒を飲む分人」が居ること自体は認めてもらわないと、夫婦として上手くいかないと思う。そこさえクリアすれば、妻と過ごす分人が、酒を飲む分人と一致する必要はないと考えている。
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