#0176 冷静と情熱の間~質の良い喧嘩・質の悪い喧嘩~
こんにちは。釧路人おだわらです。
voicyの人気パーソナリティー・木下斉さんが「本気のやつは喧嘩をする!」というテーマで先週熱く語っていました。
私自身、深く共感をしました。
私の人生を振り返ると、幼少期から社会人になるまで、「喧嘩はいけないこと」として表面的な意図しか理解せず、喧嘩を回避し、ジブンの意志よりも相手の意志を優先してジブンが折れることもしばしばありました。
こうした行為を続けていると、ジブンの意志に蓋をすることになり、徐々に個性をも蓋をしてしまうことになるのかもしれません。
こうしたジブンが大きく変わったのは、仕事に本気で向き合った時だったということを思い出しました。30代前半の頃です。
社内外で質の良い喧嘩、悪い喧嘩、いろいろしたと思います。そのおかげで今でも続く信頼関係がありますし、音信不通になったのもあります。
仕事に対して「本気」で向き合うと、衝突や対立を避けられません。
木下さんが仰るように、誰もが「いい子」でいようとする中で、あえて喧嘩を厭わず、自分の意志を貫いてきたことは間違いではなかったと思います。
しかし、歳を重ねる中で、そんな「本気」の生き方が変化し、やがて「やさしさ」という新たな形で表れるようになりました。
今回は、私が経験してきたことと、その中で見出した「やさしさ」についてお話ししたいと思います。
本気で生きることと、やさしさが交わる瞬間とは一体何なのでしょうか?
○「本気で生きること」と「やさしさ」の間
30代前半、仕事に対していつも本気で向き合っていました。
喧嘩を厭わず、社内外で嫌われることも全く構いませんでした。
なぜなら、それが「本気」だからです。
社内の多くは、無難に立ち回り、波風を立てずに過ごそうとして見えましたが、私はそれを軽蔑していました。可哀そうな大人たちだなと。
こう書くと、毎日ケンカしていたように思いますが、35歳くらいの時がピークで社内外に毎日ピリピリしていたように思います。
人間関係において、「喧嘩はよくない」というのが一般的な考え方ですが、それが必ずしも正しいとは思わなくなりました。
衝突を避けることが、必ずしも良い結果をもたらすわけではないと感じていたからです。むしろ、相手と真剣に向き合い、時にはぶつかることが本当のやさしさであり、相手を尊重することでもあるという考えが生まれていきました。
○失望と裏切り
そんな私にとって大きな出来事がありました。
ある公民連携事業の入札において、私の会社のグループ会社から、代表企業としての役割を任されることになりました。
親会社の決裁も無事通り、入札に向けた準備は万全でした。
しかし、入札のわずか1週間前、グループ会社が突然参加を辞退すると告げてきたのです。
辞退の理由は「決裁が取れなかった」というものでしたが、実際には役員たちが責任を取ることを恐れて決裁を申請さえしていなかったのです。そもそも、同じグループ会社で同じ親会社なのに、私の会社だけ決裁取れて、片方が決裁取れないというのはおかしすぎます。この会社が当該事業の中核事業を担うので、この会社が抜ける=終わりを意味します。
入札には多くの企業が参加し、外注先を含めると50人以上は関わっていました。設計図面、建設や運営の積算、人材確保、資金調達等々、私たちがこれまで積み上げてきたプランが、彼らの身勝手な判断で一瞬にして崩れ去りました。
私は怒りを抑えられず、そのグループ会社の担当役員に23時頃に電話をし、東京の本社から地元に呼び出し、コンソーシアムの会議で問い詰めました。
「あなたは自分の地位を守ることしか考えていないが、ここにいる人たちはこのマチの未来のために知恵を出し合い、より良い公的サービスを実現しようと奮闘している。それが理解できないのか?そもそも、ここにいる会社は皆、あなたたちが招聘した会社だ。自分で誘ってコンソーシアムを組成して、納得のいかない説明で辞退するとは理解できない。」と厳しく問いただしました。
今振り返ると、あのときの言葉は感情的で未熟だったかもしれません。途中で私の上司が空気を変えてくれました。ですが、私は本気で事業に向き合っていたのです。
この出来事の後、その会社の社長が謝罪にきました。そして、その会社は公民連携事業に関与することを一切やめました。
彼らにとってその選択が最善だったのかもしれませんが、私はこの一件がなければ、彼らはまた同じ過ちを繰り返していたと思います。
そして、そのときに一緒に途中まで事業に参加した企業とは、いまでも良好な関係を築いています。苦労を共にした戦友のような感覚です。(辞退した会社とは情報交換を年に数回行う程度の付き合いです)
本気でぶつかることこそが、時に相手に対する「やさしさ」なのかもしれません。
○繰り返される衝突
私の会社はいわゆるノンバンクです。
プロジェクトファイナンスにおける役割は、一般の銀行が取れないリスクを取ることで、社会に貢献することと考えています。
しかし、社内の審査部門には、リスクを恐れ、短期的な利益や自身の評価に固執する役員がいます。2年ごとに入れ替わりますが、毎回同じような考え方を持つ人たちが担当に就きます。(こういう人が上にいると、真面目に仕事している人はめっちゃ疲れます!)
彼らは、事業の定性的な取組意義や社会的インパクトを理解せず、ただリスクの有無だけで判断してしまいます。とくに自分が理解できない複雑で難しいことを「リスク」と呼び、ポーンと匙を投げてしまいます。
それに対して、私は何度も衝突してきました。
なぜなら、役員がその姿勢では事業の成功が危ぶまれるからです。
ノンバンクの存在意義は、リスクを引き受けることでコンソーシアム全体を支えることにあります。
そのリスクテイクがあるからこそ、コンソーシアムの構成企業は安心して自分たちの仕事に集中できるのです。
これが理解されるのに月単位で時間がかかるので、営業活動にも影響を来し、もう大変です。
○寛容さか、諦めか
しかし、最近ではこうした衝突に慣れてきた自分がいます。
毎回同じような衝突を繰り返すうちに、私は感情を抑え、冷静に対応するようになりました。以前のように感情的にぶつかること(ひとりアウトレイジ)が少なくなったのです。
これが「寛容さ」を身につけた結果なのか、それとも単に「疲れてしまった」のか、自分でもよくわかりません。
もしかすると、相手の色に染まってしまったのかもしれませんし、逆に、彼らの考えを受け入れる余裕ができたのかもしれません。
○やさしさの進化:質の良い喧嘩・質の悪い喧嘩
30代前半の私は、仕事に真っすぐに取り組むことで沸き起こるエネルギーに従って喧嘩を厭わず、信念を貫くことが「本気で生きること」だと信じていました。
しかし今では、「やさしさ」が少し違った形で現れることに気づきました。相手に対する寛容さや、冷静に対応することもまた一つのやさしさなのかもしれません。
ただ、それが本当に「成長」なのか、もしくは「諦め」なのか、その境界線はまだ明確ではありません。
ですが、これからも真剣に生きていくつもりです。
たとえそれが相手との衝突を伴うものであっても、それが「本気」であり、そして「やさしさ」であるということは恐らく変わらないからです。
木下さんは、質の良い喧嘩と質の悪い喧嘩という表現をされていました。
30代前半の頃は、質の悪い喧嘩をしていたのかもしれません。
そして、今は40手前になり、組織をハックして動かしていかなくてはなりません。
そうした意味においては、感情的だった未熟な過去の私はアホで、今の状態は何か物足りないかもしれないけれど、お互いが本気で仕事に向き合うため、仕事を成功させるためという大きな目的を持ち、(軽蔑していると先述しましたが)相手をリスペクトし、感情をコントロールできているということを思うと、成長できているのかなと思います。