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胴吹き桜


手折られる枝を持たない胴吹きが一番弱くて一番強い


いとけなく揺れる胴吹き桜から出口必ずあるとの声が


胴吹きの桜にならう世知辛き世を生きゆける術と覚悟と


満開の桜天井に目もくれず胴吹き桜を愛でる人影


儚げと囁く主らは知らぬこと如何に生きるか如何に繋ぐか




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ぴょこんと幹から直接咲いている桜を「胴吹き桜」と呼ぶらしい。かなりの確率で見掛ける花姿なのに、今まで呼び名なんて気に掛けたこともなかった。

画が自分の中にあるだけで用が足せてしまうことなんて沢山ある。この状況を誰かに伝えたいとでも思わない限り、音にする、文字にする必要がないんだから呼び名なんてそんなものだ。結局は共有したいかどうかってことだよね。

言葉数が増えない原因は、これだなと思い当たってしまった。


「胴咲き」ではなく「胴吹き」と呼ぶところが面白い。どこかの植物園のサイトで子細な説明を見掛けた。芽には「花芽」と「葉芽」があるから「芽吹き」と同じような意味で「吹き」が使われているんだという程度の消化具合でそのサイトから早々と退散してきた。こんな流し読みぐらいでは、到底理解したなんて言えないけど。

細くて柔らかい枝からではなく、太くて固そうな大元の幹から芽吹くのは大変なんじゃないのか。そうまでして芽を出す意味がどこかにあるんだろう…なんてことを1人悶々と考えたりしているのも楽しかったりする。アスファルトを破って出てくる草木もあるぐらいだし、植物の生命力の強さ、というより今を生き延びて種を残すことが大前提なんだろうな。



母はこの「胴吹き桜」が大好きで、桜を見に行っても満開の桜並木より視線近くにあるこの花ばかりを追いかける。

「ここにもある!」とか「可愛いなぁ~」を連呼しながら進む。太い幹と小さな花の取り合せってのもあるんだろう。黒っぽい幹に淡い桜色の数輪の花は、それだけで充分絵になるし。


枝先の花も幹の花も花であることには変わりないのに違うもののように眺めてしまうのは、自分の中でストーリーを展開させているんだろう。


こんな所で頑張ってる…って気持ちかもしれないし、

仲間外れにされて…って気持ちかもしれないし、

伸び伸びしてていいなぁ…かもしれないけど。


胴吹き桜に近寄って行く人はたいてい母と同じように「可愛い」と呟いていることが多かった。

小さく壊れそうに見えるものは保護しなきゃって気持ちが湧いてくる。本当のところなんて関係ない。

けれど、それってなんだか上から目線じゃないか?とふと考えたりもする。

本当に弱々よわよわだったのなら、芽吹いたうえに綺麗に花開いたりできないだろう。


…あらま、まーた「可愛い」とか言われちゃってるよ

なんて桜自体は思ってたりして。

老木に多いという表記も見かけたから、樹勢の衰えた木の踏ん張りというパターンもある。そうだとしたら、掛ける言葉は「可愛い」よりも「頑張って」とか「お疲れ様」の方がいいような気もする。

いや、そのままでいいのか。「可愛い」と言われて嫌な顔をする奴なんていないだろう。

「カワイイ」は、万能なんだから。笑



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