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おままごとの話

最近、外で遊んでいる子どもをあまり見掛けない。
ま、時節柄もあるし、他にも一言では言い切れない理由がきっとあれこれあるとは思う。

わが子らが小さかった平成の初めの頃は、お砂場道具を持って、家の前や公園で遊ばせたりした。
バケツにスコップ、プリンの空き容器などなど、ガリガリと土を削ったりして遊んでた。


アタシが子供の頃、砂遊びと言えばそれはもうおままごとで、季節は絶対に 夏。一番の理由は、気兼ねなく水が使えるから。服だって地べただってすぐに乾くしね。笑

水があれば・・・
コップの中でぐるぐる土と混ぜて珈琲を作ることも、お鍋やお椀の中にお味噌汁を作ることも出来た。近所の軒先から朝顔を摘んできて、コップの中でギュウギュウやるとソーダ水にもなった。

年齢が上がっていくと、ただの砂いじりが「おままごと」へと昇華されていく。
配役が決められ、どこかの家庭のミニ版のような寸劇が繰り広げられる。無意識に、だけどとっても楽し気に、子供によって家庭内の秘密が披露される場でもあった。親は戦々恐々である。


大人がしていることを真似する「ごっこ遊び」って、自分も同じことが出来るよ、出来てるでしょ?ていうアピールだったのかと思ってみたりする。

子どもはきっと、自分のことを子どもだなんて思ってない。少なくとも、アタシはそうだった。
子どもから見た大人は、ただの体が大きい人に過ぎなくて、だから「大きくなったら~」って言うんだろうと思う。「大人」って単語を使うのは、「大人」だけじゃないだろうか。


話は、急展開するけど、ごっこ遊びともとれる歌が万葉集にもある。北陸は能登の歌。長歌なんで、ちょい長め。日本語で喋れよ!て、やっぱり思う感じ。

香島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 速川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児(めづこ)の刀自(とじ) 父にあへつや 身女児(みめこ)の刀自(とじ) 万葉集 16-3880


最初は地名だし、その他も色々面倒なところがあるので、それらをポン♪とすっ飛ばして、ざっと搔い摘んでわらべ歌っぽくしてみたのが、下の右側。

 しだたみを い拾ひ持ち来て      小さな巻貝 拾って来たら
 石もち つつき破り          石を手に持ち 突いて割って
 速川に 洗ひ濯ぎ           川のお水で 洗ってすすご
 辛塩に こごと揉み          辛めのお塩で ゴシゴシ揉んで
 高坏に盛り 机にたてて        器に盛ったら 机に置いて
 母にあへつや             お母さんには振る舞った? 
 目豆児の刀自             愛しい小さなお母さん
 父にあへつや             お父さんには振る舞った?
 身女児の刀自             可愛い小さなお母さん 


ちょいちょい苧環色が入ってるので、丸呑み禁止ですが、結局は巻貝を拾ってきて処理をし、器に盛って机に置くまでの行程が、順を追って描かれている歌。

これ、子どもに貝の扱い方を教えるための歌だとか、わらべ歌だとか言われてるみたいなんだけど、真相は不明。(万葉集あるある)
教えるためだったのか、作業中の手慰み歌だったのかは、そりゃあ、当時の人にしか分かんない。なんとはなしに口伝えで残り続けてた歌なのかもしれない。


というか、アタシが気になるのは、そこじゃなくて、最後に父母に振る舞ったか?と聞いてくるところ。

ままごと遊びでよく「どうぞ」なんて言って、泥水のコーヒーや赤マンマの赤飯や泥団子オニギリを差し出してた身としては、これはおままごと以外の何物でもないじゃん!と。

あと、貝の処理はするけど、火を使う描写がないのも、おままごとなんじゃね?って思えて仕方ない。

おままごとで、火は危ない。その昔、電熱線でホットケーキが焼けるというママレンジなるものが流行って、強烈に欲しかったのは覚えてるけど、おままごと界に熱源はほぼ存在しない。

火を使わないで食べるって・・・、この巻貝、生食可なのか?!ってこと。貝は怖い…よ?

「シダタミ」って詠われてるこの貝、親指の爪ぐらいの大きさの「イシダタミ」っていう貝のことで、ぱっと見は平べったいタニシみたいな感じで、たいてい「茹でる」と書いてある。‥‥ってことは、実際の調理行程じゃないよね?この歌。どこまで歌に真実を求めるか?っていうのも、若干あるけど。この際、都合の悪いことは棚にあげておく。


あとは、「刀自(とじ)」が出てくること。

「刀自」は、一家を仕切る成人女性を指すことが多いので、これはもう「お母さん」しか浮かばい。

とまぁ、こんな理由で、アタシはこの歌を最古のおままごとの歌だと勝手に思ってる。


今は、そのまま「ままごとのうた」なんていうのもあるらしいけど、アタシが聞き馴染みのある料理絡みの歌は、せいぜいお弁当箱の歌ぐらい。ただ、歌詞に出てくるお弁当箱の中身が、刻み生姜やらゴボウやフキだから、絶対子供向けのおかずじゃないよね?このお弁当を食べるのは、滋味の分かる通なのか?笑

あとは、キテレツ大百科の「お料理行進曲」あたりが、ある年代に響くぐらいで、どの世代にも共通のおままごとの歌なんていうのはなさそう。


まぁ、おままごとが好きだったから、料理や家事が好きになるとは限らないんだけど、遊びながら学ぶって言うのは、昔からあったのかもな?と。

こんな歌も万葉集にはあるんだよ…ってお話。


今のおままごとは、小さな子にも優しい素材で出来てて、着脱可能なものまである野菜や果物。本物に引けを取らないぐらい充実したままごとキッチンなるもの。恵まれているのかどうなのか?と、ちょっと考えさせられるけど、もうしばらくしたら、強請られる側になるのだと思うと・・・・出来るなら揃えてやりたい、と思ったりもするこの矛盾。笑





****************


ひとつずつの言葉を分解して、意味をつらつらと書き連ねても何の面白みもないんですが、自分の記録のためにも、ちょろっとだけ書いておきます。意味は、アタシの調べ得る範囲ですが…。もちろん、すっ飛ばして頂いてダイジョブです。ただただメンドクサイだけだし。笑



香島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 速川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児(めづこ)の刀自(とじ) 父にあへつや 身女児(みめこ)の刀自(とじ)       万葉集 16-3880

香島嶺の =地名。石川県七尾市辺りにある山々のこと。
机島   =石川県の能登島の南西あたりにある小島。
しただみ =イシダタミと言われる小さな巻貝のこと。
高坏   =脚の付いた器。
あへつや =「あへつ」は、「もてなす」。「や」は、たぶん疑問。
目豆児  =「愛づ子」か?ってことなので「愛しい子」か?
刀自   =家政を仕切る女性。
身女児  =詳細不明。「目豆児」との位置関係を考えると「見目麗しい子」の略語的なもので「可愛いい子」でいいんじゃね?と。


 

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