新生児が好き
ふにゃふにゃの新生児が好きだ。
出来れば3か月になる前に抱っこしたい。
そうは言っても、よほど近しい関係でないと無理な話。
今回は、そこに厄介なものが流行ってくれたじゃないか。
見れないじゃないか、触れないじゃないか…と、ぶー垂れていたものの、落ち着いて考えてみると。
これは、あれこれ悩まなくていいってことじゃないか?立場的に。
はい、ワタクシの立場は、世に言う姑になる。(やだな、この字)
産むのは、息子のお嫁ちゃん。
「お母さん、お母さん」と言ってはくれる可愛らしい子ではあるが、そこはそれ、あちらも気を使ってるであろうことは百も千も承知。
あぁ~、これが我が娘であったなら…、なんて毒親のようなことを考える。
嫁に貰ったなんて言うのは、もう遠い過去の負の産物。それぞれが実家を出て、新しくHOMEを作った。あるのは、ただそれだけ。
そこに新たな命。彼らが育てていくのであって、こちとらは、ただ時折可愛がるだけ(というか、お財布係?)。
何が欲しいだろ?何が要るだろ?何を喜ぶだろ?
お嫁ちゃんに好かれたいだけの愚かな人間は、四六時中そんなことを考えてたわけで…。某ネット通販のおススメが、恐ろしいくらい妊婦仕様になってしまった。
結局、自己判断では何も買えず、現ナマ支給という世にも恐ろしい、味もそっけもない結果となる。何してんだか…。
…いや、生ものは腐るしね。形あるものは好みがあるしね。現ナマは腐らないし邪魔にはならない…
会えない抱っこ出来ないのは、少し寂しいけど、出産直後のお嫁ちゃんに気を使わせなくて済むということ、こっちもタイミングやお見舞いや掛ける言葉などなどに神経をすり減らさなくていいということ。
これは、デメリットを超えるメリットではないか?(愚息曰く、お嫁ちゃんとワタクシと性格が似ているそうで。人づきあいが恐ろしく苦手で、人に会うと思いっきり疲れるらしい。うん、その気持ちよくわかる。)
今の時代、画像も動画もポチっとするだけでOKだし。
元気であればそれが一番。
日々退屈を持て余している母が、ひ孫の誕生に目尻を下げて喜んでいるのも救い。
我が子の誕生を目の当たりにした愚息が、感動してお嫁ちゃんに感謝してるっていうのも、時代だなと。
意外だったのは、伯父になる方の愚息の喜びようが半端ないこと。
いつ生まれる?に始まり、無事生まれて良かった、可愛いな~、いつ会える?祝いは何がいいかな?無事退院できてよかった~、などなど、感情がダダ漏れ。こんな奴だったっけ?と。
同居人はというと、安定の客観視というか他人事。赤ん坊なんてものは、時がくれば勝手に生まれてくるものだと未だに思ってる。今更言う気にもなれん。
血を繋ぐ 役担はぬは をのこなり 腹痛めるの 言葉通りに
産む産まぬ それより前に ヒトありき 今在るヒトを 愛しとせねば
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