片想いと3次元
先日、久しぶりに子が来訪して、映画キングダムの話で少し盛り上がった。
「キングダムがさぁ~」という何気ない一言の後に「案外面白かったよなぁ~」「だよねぇ~」と。
あの俳優はどう?あの場面はどう?などなど。
2人とも、原作は読んでないし、流行りに呑まれるのもって敬遠してたのが、配信で見られるなら…で、みごとにはまった感じ。
お互いあの時代のことは朧げに知っていて、興味がないわけでもないから、どっちつかずの微妙な空気感で盛り上がれた。
そこから、漫画やアニメや小説なんかの話を取りとめもなく。
「あ、その人ね…」とお互いに興味の持ってる作家に対してあれこれと。あちらには「旧」でもこちらには「新」なんてことが、ざらにある。もちろん、その逆も。子の年齢が上がるとともに、好みが被りだした。
「やっぱ、血かなぁ~」みたいなことを、ぼそっと言われた。
小さい頃に本や絵本を与えたのはこちらだけども、そこから開拓したのはキミだから…。ま、同居人はそういう類に興味はない。文字で映像が浮かばないから苦痛でしかないんだそうな。
話は、2次元と3次元の話に。
もうずいぶんと前に、アニメを舞台化したものとか、それに出演した俳優さんとかを括る言葉として(あってる?)、2.5次元というのが出てきた。2.5次元って、中間ってことなのかな?
結局、好きな2次元は2次元のままでいいよね…と、意見が一致し、その日は終了。(漫画を借りようと思ってたのに、既に売ったと…。哀しい…。)
その後、グルグル一人で考える。
2次元は「縦・横」、3次元は「縦・横・奥行」。ヒトに関して言うなら、実在するかしないかで、分ける感じ?
とすれば…
「縦・横・奥行」で認識出来ない相手は、2次元なんじゃないの?たとえ実在の人物だとしても画面や印刷物でしか会えない(ここはあえて、会えないを使うべきかと)のなら、自分にとってそれは、2次元じゃないか?
アイドルや俳優なんかじゃない極々普通の生活をしている相手でも、相手にこちらを認識してもらえてない時点で、こちらは2次元じゃない?
今は技術の力で、いくらでも立体のように描くことが可能になってる。
紙面や画面上の2次元にだって立体感のあるものは沢山ある。
遠近感や影なんかで立体を感じるものすべてが、3次元じゃないよね?と(そもそもそれを3次元とは誰も言わないけどね)。
そこから飛び出して本当の意味(?)での奥行きを持たないと、3次元のモノだと言わないんじゃないのか?…云々。
なんてことをグルグル…。
たとえば、片想いは所詮一方通行の思いだから、生活圏は同じでもお相手からすれば、こちらは背景の一部ぐらいの存在でしかないってことにならないか?と。それって、2次元じゃん…と。悲しい話だけど。
ただの背景から脱するには、こっちもあちらと同じ3次元にあることをまず知って貰わなきゃダメなわけで。
となると、必要なのは存在感だよね。
存在には、固さや、柔らかさ、弾力なんかの触感に加えて、冷たい温かいの熱感が要のような気が。
2次元から3次元に昇格するためには…、好ましいと思うお相手に認識してもらうためには…、お相手と同じ世界で、触感と熱感を感じてもらうしかない気がした。こちらから、どうのこうのして叶うような問題じゃないんじゃないかと。
あちら側とこちら側には、越えられない意識の差があるように…。
液晶が日常生活のあちらこちらある今、平面から出てこないものや触れられないもの、熱を伝えられないものは、2次元のものだと考えた方が、片思いをする側からすれば気楽かもしれないな…と、今更、片思いをすることも推しを持つこともないであろう人間は思うのでした マル
PS.
ここにあげた3首はそんなことを考えながら作ったもの。だけど、読んでくださる方には、その日、その時、その一瞬で、それぞれ別のシチュエーションがあると思います。
それぞれの場で、それぞれに空間を広げて貰えれば嬉しいです。その方がきっと三十一文字も喜んで羽ばたくことができると思うので。
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