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「壁・寿司・民藝」 #プロフェッショナル
プロフェッショナルの放送があり,密着番組を見返すと自分でも発見があるから面白い.まだ見逃し配信しているし,アカウントの仮登録すれば誰でも見れるので,下のリンクから動画を見てからこの記事を読むとネタバレなく読むことができる.しかし,ネタバレしてから見るのも悪くない.上の写真のポイントは台湾の漢方薬屋さんで二人の間に貼られた友シールが映り込んでいる構図がよくできている.右は落合陽一,左はプロフェッショナルを作った阿部ちゃんである.ちなみに撮影したのは河瀬さんで,プロフェッショナルのプロデューサーだった人だ.2006年に番組を立ち上げたディレクターで今回の番組のプロデューサーだ.↓
ちなみに河瀬は…
— 河瀬大作 (@kawabou) December 20, 2023
プロフェッショナルのプロデューサーだった人ではありません。
2006年に「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組をを立ち上げたディレクターだった人です。
そして、
今回の落合さん回のプロデューサーのひとりです。
6年前,2017年に放映された情熱大陸を見てくれた人が意外と多い.私はあの番組は密着ものとしてはとてもよくできていたので,ちゃんと拝見した.内容の解説は下記の記事がわかりやすいがリンク先に行くのも面倒そうなので引用する.
■構成
大まかに言って次のように分けることができる。もちろん、便宜的な区分も少なくないが、最後に場所を表記した部分ははっきりと一つのグループに分かれる。
1.生活点描 (0:31-) 落合陽一のキャラクターを視聴者に理解してもらうため、印象的なカットを次々に羅列する形で紹介する。
2.筑波大学デジタルネイチャー研究室 (4:09-) 落合が主宰する研究室の日常の風景。【つくば】
3.超指向性スピーカー (6:22-) ゲームメーカーSEGA本社への開発製品の売り込み。その特徴が紹介される。【東京】
4、遠隔操縦 自動運転車椅子 (7:39-) 柏市の介護施設での車椅子の試用とモニタリング。【柏】
5.デジタルネイチャー (9:18-) 落合陽一の基本思想、デジタルネイチャーを語る。
6.ゲーム (10:25-) 大型モニターを買い、睡眠時間を削ってでもドラクエで遊ぶ落合の日常生活。
7.リンツ編 (11:29-) オーストリア、リンツでの「アルスエレクトロニカ フェスティバル」での落合のプレゼンと現地での生活。【リンツ】
8.生い立ちと父落合信彦(13:37-) 幼い頃のエピソードと印象的な父の言葉、影響の有無。
9.妻・美帆 (14:41-) 30歳の誕生日を祝う夫婦の会話となれそめの紹介。
10.網膜投影 (16:35-) 全体の山場ともなる最新の技術研究。完成にたどりつくまでの長い道のりがドキュメンタリータッチで語られる。【つくば】
11.イルカとのコミュニケーション (23:07-) まだ始まったばかりのその内容は未知数である。【沼津】
25分の中によくぞこれだけの情報を詰め込んだものだと感心するが、大きな欠落が二つある。
1.「魔法」を落合陽一の個人的な特技的に扱っているが、『魔法の世紀』によれば、20世紀が「映像の世紀」であるのに対し、21世紀は高度化した科学技術がブラックボックス化して、魔法のように見える「魔法の世紀」である。つまり、落合陽一がいようといまいと、21世紀の現在、魔法はコンピューターテクノロジーとともにすでにそこにある。
2.落合陽一は自身を科学者であると同時にメディア・アーティストとして位置づけている。つまり、単なるテクノロジーオンリー、科学オンリーの存在ではなく、テクノロジーとアートの双方にわたる活動領域を持った存在と位置づけている。
この二点は最初の単著『魔法の世紀』の基本思想であるので、番組がわかりやすさを優先し、単純化したのは残念な部分である。
今回の映像構成における論点は「魔法の世紀と芸術」,「計算機自然とアートとテクノロジーとサイエンス」そして「魔法の脱魔術化」だろう.「壁・寿司・民藝」がポイントだと思ったので,まずそこをまとめておく.
「壁」
番組のタイトルにも「壁が、壁でなくなるように」とあるように,壁のメタファーが構成要素として目立つ.「壁からの音を三次元レーザードップラー振動計から復元する研究」,「障害をテクノロジーで乗り越える」,「演出上の困難(壁)を仲間とともに乗り越える」,「領域の壁を打ち壊していく」などのメタファーで用いられている.
しかし実は落合陽一はあまり壁という言葉を使わない.おそらく壁を認識することがない.これは意外と見落としがちな事実である.検索しても発言になかなか壁が出てこないのは主観に壁という認識があまりないからだと思う.
一般的に日本の若手コンピュータ研究者にとって,壁といえば重要なのは壁カレンダーであるが,壁カレンダーは壁である.
ここにあるのが壁である.壁カレンダー.
科学も多様な文化の一つ,研究はライフスタイル,論文は読み物,論理が通用するのは論理が通用すると思っている人の間だけ.事実と価値は分けられないし,科学的事実は経済から離脱するのも難しい.そういった中でどうやってデジタルネイチャーを考えるか,は日々の大きな課題である.
Digital Soziale Plastik para la Convivencia (多文化共生に向けたデジタル社会彫刻)の必要性は言うまでもないけれど,人も変わっていかないといけないのだろうと思う.今ここにあるのはサピエンスの壁である.知的な・文化的な・積み重ねられた・歴史的な・あらゆるものを一旦外に置くことができるかと言うことなのかも知れない.
・サイエンスやサピエンス(知性)を手放す壁
・個々の象牙の塔(学閥)の壁
「コンビビってるものをつくるにはライフスタイルがコンビビウムである必要がある。僕が猫を飼っているのではなく、コンピュータが猫を飼っている。猫は毎日コンビビアル。猫にあって僕らにないものは文明への執着心だ」
いつでも手放せるようにしているからちゃんと壁を認識できる.そのための反復よく手放したり捕まえたりを繰り返す習慣が必要なのだと思う.壁を飛び越えるライフスタイルを.
と落合陽一の壁カレンダーには書いてある.追加で言うと猫・キノコ・遊牧民への言及は冒頭のDJトラーズとしての落合陽一だけだったところが語り落としの一つである.
https://twitter.com/ochyai/status/1737273093561917685/video/1
そして清春芸術村の展示は今日までです! pic.twitter.com/5s2CETB8M5
— 落合陽一 Yoichi OCHIAI (@ochyai) December 20, 2023
しかし,ここで問題になるのは落合にとっての壁の認識である.
直近の清春芸術村の展示を見ても,落合陽一は多分壁を壁として認識していない.ここは大切な観点であることを付け加えておこう.つまり壁オブジェクトをただの剛体オブジェクトだと思っている可能性が高い(何かを囲うとか何かに障壁があるとかを考えていない)
この要因は番組でも語られているように,落合は恵まれた環境で育ち,ひとり遊びが好きで,コンピュータにも砂場にも垣根がない.鈴木健のなめらかな社会とその敵という本があるが,そもそも落合陽一は最初からなめらかなのである.その敵もいなければ,なめらかと壁,という認識がない.
むしろ落合が無くしたいと思っているものは,「重力、ゲート、繋ぎ目」である.
■世界から「重力・ゲート・繋ぎ目」はなくなる
僕にはデジタルネイチャー研究における目標が3つあるんですよ。
1つ目は、重力をなくすこと。 人間は、いかに3次元に生きているとはいえ重力下では平面性のある空間にしか生きられない。 重力があるから、人間は二次元空間に固定されちゃうんですよ。机を挟んで話をできるし、二次元平面に違和感を感じない。でも、発想や想像の自由が奪われている。
一方で、コンピュータって生来的に多次元的なんですよね。 どういうことかというと、人間にとっては横と縦と奥行きって全然違うものだけど、コンピュータにとっては全部たかが配列の中に入ったデータの問題でしかなくて、時間と空間の差すらないんですよ。だからコンピュータと人間が融合すると、人間の価値観も変わってくるはずだし、上と下の区別がなくなったっていいはずだよね。
2つ目、ゲートをなくすこと。 この世界にはゲートが多すぎる。大体が人の労働コストに縛られた改札構造だと思う。都市の特徴。 本当は電車から降りた瞬間に、改札なんかに集まらずに自由な方向に向かって行ったっていいわけじゃん? なのになんで改札があるかというときっとホワイトカラー時代の名残で、誰かが観察して、警備して、管理する必要があったから。つまりそれって、マンパワーの労働力を基準にして人間の行動が束縛されてきた訳で。 でもそんな束縛はコンピュータ時代には不要だと思っていて、人間は自由な方に自由に行っていいはずだし、ゲートが一個もない地下鉄とか、レジがないコンビニとかがあってもいいよね。 こういった都市構造自体の再定義をデジタルネイチャー時代にどうやっていくかには、すごい興味がある。
3つ目が、繋ぎ目をなくすこと。ガラスだけで出来ている家がないように、物体と物体の間には必ず繋ぎ目があるんですよね。 だけど、人間の身体には繋ぎ目はほとんどない。 だから、コンピュータはやがて繋ぎ目のない世界を作るはずなんですよ、3Dプリンタみたいに。あらかじめ全てがアセンブリされているものをどうやって作っていくか。それはソフト的にもハード的にもね。
−−「物体の繋ぎ目をなくす」っていうのは、物体同士の繋ぎ目をなくすってことですよね?
そうそう。
−−デジタルネイチャーの考えだと、物体と人間の繋ぎ目もどんどん・・・
うん、なくなっていく。
−−すると、デジタルネイチャーの極限にメディアは残るんですか?
究極までいったら多分、なくなると思うね。究極までいったらあらゆるものはコンテンツになるし、最終的に敗北することも分かっている。だけど、デジタルネイチャーにするまでの間、ひたすら俺はメディアを開拓し続けて、メディアアートをし続けないといけないと思っている。メディアが完全になくなったときに、「何がメディアアートだったのか」っていうのはすごい重要で、つまりデジタルネイチャーに至るまでの間は、映像の時代の逆定義としてのメディアアートの時代になってくるはずなんですよ。
重力は壁ではなく作用であり,ゲートは改札行為であり壁ではなく(越えられることは最初からわかっているが特権者によって越えられるかどうかが選択される),繋ぎ目は壁ではなく美しくない接合面のことである.
ここでのメインパラダイムを壁としてしまったのは時間の都合,番組の都合致し方ないのだが,重要な視点なので挙げておく.
「寿司」
寿司はこの番組を構成する重要な要素である.ダイバースシプロジェクトとロービジョンボクシングが表裏一体の関係であること,情熱大陸でハマグリを食う落合陽一と誕生日プレゼントが寿司職人であるプロフェッショナルの関係を繋ぐ鍵である.(燃焼系の運動と寿司グルメはセットなのだ)寿司を食うプロジェクトをやりつつ光り輝きながら運動する成澤さんの姿は美しい.
見どころ1:寿司
情熱大陸誕生日:寿司屋(上野一心)誕生日プレゼントはtoo old to die,下流老人のジャケット,「ハマグリは複雑性の極みだよ.人間を頭から足まで丸ごと食べたら複雑じゃん」
↓ 6年 ↓
プロフェッショナル:誕生日プレゼントは寿司職人(実家).「コハダはいいねえ複雑だ」
見どころ2:新規性
情熱大陸予告: 「人類で僕しか知らないんですけど」
↓ 6年 ↓
プロフェッショナルエンドロール: 「プロフェッショナルとは「毎日新しいことをする人」.人類がやったことがないことをやろうと思っても普通は人類がやったことがないかすらわからない」
見どころ3:カレー
情熱大陸:ストローでカレーを吸いながら研究
↓ 6年 ↓
プロフェッショナル:カレーメシを食べながら学生の論文を添削している
見どころ4:他者との会話 情熱大陸ラストシーン:イルカに「いつかお前と会話できる日が来るといいなぁ」
↓ 6年 ↓
プロフェッショナルラストシーン:AIに「タクシーの中で取材とは便利な世の中になりましたね」と言われる
https://twitter.com/ochyai/status/1737267615217971584
見どころ5:ピンセット葉巻
情熱大陸:葉巻を吸いながら(上野トラッド)「大した命じゃないんだ。燃え尽きるまでやれ」(落合信彦回想)
↓ 6年 ↓
プロフェッショナル:葉巻を吸いながら焚き火の火おこし(研究室合宿) 「研究やりきれるといいね」と学生と会話
見どころ6:製品
情熱大陸:ホログラフィック指向性スピーカーを持ってSEGAに
↓ 6年 ↓
プロフェッショナル:変調ガンマ波スピーカーのプレゼン with シオノギ
見どころ7:デジタルネイチャー
情熱大陸:DC EXPO「どうやったら20世紀の今まで我々が標準化して統一化したような世界観をアップデートできるかってことをあらゆるところで挑戦しています。まあ、デジタルネイチャー、計算機による自然とか、人間を抜いて自然」
↓ 6年 ↓
プロフェッショナル:研究室合宿「何でデジタルネイチャーでは民藝の研究をしているんですか?(計算機自然と民藝)」
(ここの語り落としは確かにある)
沖縄の工工四「AIはもともと人間の撮った画像からできているわけなので人の文化や不断の営みと切り離せない」
寿司は複雑性,人間との関わり,日本,そんなことを思い返すキーエレメントとして物語に登場してくる.寿司をキーエレメントに持ってきたおかげで物語に過去のプロジェクトや過去の番組を通底する深みと連続性が出たのは素晴らしいことだ.
「民藝」
密着期間の中での最大の語り落としはここである.時間の関係で切った最大のブロックはここだろうと想像される.
そもそもプロフェッショナル冒頭のシーンは「計算機自然と民藝」の展覧会に来場した人々へのインタビューである.
民藝を語り落とした故に,テクノロジーとサイエンスが「健やかなる営みではなく壁を乗り越えるもの」として記述されざるを得なかった.そこが一つの問題である.
chatGPTにデジタルネイチャー研究室では何で民藝の研究をしているのか聞いてみてください
とのフレーズがあったので及第点ではあるが,ここは文脈が困難すぎる.
![](https://assets.st-note.com/img/1703039156530-jizh7NEHRp.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703039214580-PBC34xSevK.png?width=1200)
喜びを共有することが「民藝の健やかなる営みの本性」だとするならば,この番組で語られた「喜びの共有」の意味を着地させることもできたはずだ.(魔術化された世界:計算機自然での人間とAIの関係性は自然と霊性に似ている)
冒頭の甲斐絹・終盤の工工四での接続は見えるものの,民藝の展覧会と計算機自然の連関性について時間ゆえに語れなかったところは惜しいところである.
「総論」
総じて語り落としはあるものの,膨大な密着から構成されたドキュメンタリーであることは間違いなく実に味わい深い出来である.そして何よりも阿部ちゃんと河瀬さんと過ごす毎日は実に楽しかった.今後の宿題も激励として,まずはこの喜びを共有したい.ありがとう.
![](https://assets.st-note.com/img/1703040311337-tWLTqYl3iP.jpg?width=1200)
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
いつも応援してくださる皆様に落合陽一は支えられています.本当にありがとうございます.