ケア、自己受容

お久しぶりです。
ひろーりです。
最近毎回久しぶりって言ってる気がする。
まあ、いっか。
書こう。

最近ボチボチ忙しい。
夏休みではあるんやけど集中講義があったり、他にもバイトとかの色々予定入れてる。
スケジュールが結構過密状態。
ちょっとしんどくなってた。

まだまだ暑い感じやし大変ですねー。
10月まで暑いってマジかよって思うなー。
この前のバイトは1日何とか耐えてたんやけど、その次の日はなんか起きれんくなってお休みさせてもらってた。
完全に体調がおかしくなったっていうか、体力持ってかれてた。

そこら辺の期間が履修登録期間やったんやけど、2年遅れてるやつの履修登録って大変なんやね。
今年僕の学部は結構色々カリキュラムとか学部学科の名前とか変えたらしくて。
前あった講義の名前も大分変わってて、昔もらった履修案内の冊子もあんまり当てにならんかった。
元々そういう情報を一杯処理して選択するのが苦手なタイプなのもあって、メンタル的に限界がきてヘラってしまった。

同年代に比べて遅れてる劣等感とか。
そういう劣等感を覚えてしまう自分がいることへの自責とか他責とか。
どーせ俺は大学に相手にされてないんだっていじけたりだとか。
なんかもー全部嫌だってなって。
負の感情がぐわーってなってきて動けんくなってしまった。
心身が疲れてしまうと、どうしてもメンブレしてしまう時がある。
ムズい。

母親にケアが足りてないんじゃない?って言われた。
確かにそうかも。
最近筋トレやってないし、家事もやってない。
あと自己受容がまだできてないんじゃない?とも言われた。
さっき筋トレが家事が「出来てない」って書こうとしてしまった。
僕が無意識で使う言葉には常にどこか自責を感じさせるところがあって。
そういうのが僕の心を更に苛むのが頭では分かっているんだけどついつい使ってしまう。

ケアってどういうことなんやろって調べてみたら。
大事にする、関心を持つ、注意する、世話をするって意味があるみたい。
その意味では家事とか筋トレはやはりケアやな。
そういうフィジカルなケアだけじゃなくて、自己受容をするとか座禅をするとかのメンタルケアも大事な気がする。
曹洞宗のお坊さんは、ずっと規則正しい生活を送りながら座禅を毎日してるらしいんやけど。
まさにケアの達人なんやろなって思う。
そういうケアの意識が高い生活を送っているから、自他に対しての気づきの能力も高くてマインドフルな状態が維持できるんやろな。
僕も出家するまでは行かんくても、やれるだけ真似してみるだけでもケアの能力が高まりそう。

履修期間中、親からはやっぱり鬱々してるように見えたみたいで。
それで暫く実家に帰ってた。
まあ他にも予定があるから下宿と実家を行ったり来たりって感じやったんやけど。
小3くらいから飼ってる実家のワンコがもうそろそろ年みたいで、トイレが我慢できんくなってる。
今はまだ暑いから家の玄関・土間に冷房効かせて入れてるんやけど、よく小便を漏らしてしまってる。
やからペットシーツ敷いたり、散歩に行く回数を増やしたりして対応してる。
実家にいる時は結構僕がその仕事をしてた。
1日何回も散歩行って、漏らしてたらペットシーツ取り替えてってやってるんやけど。
別にそういうのって不快じゃないんよな。
というかなんかやって良かったなって思えるっていうか。
それにペットって不思議でただ在ることに価値があるというか。
手間がかかるのとかは、その価値に一歳関係ないんだよな。

そういう価値は自分にもあるはずっていうか、周りの人にもそんな風に自分のことを見てくれてる人はいるはずなんだけど。
自分に対して他者がケアをしてくれるのは、僕が実家のワンコに対してしてるのと同種のものもあるはずなんだけど。
僕が僕をただ受容したりケアするのだけが凄く難しい。
まあ苦手もずっと取り組んでいけば良くなるもんやし、気長に行こうかな。

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