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SanQueHadsu 1/3

"Bottling the VINEYARD" 初年度に発行した「サンクスレター(2018年6月/結城酒店)」に寄稿いただいたコラム「"さんきゅうはづ"というぶどう(著/竹田 耕平)」を全3回に分けて紹介します。
※ リターンのワインが届きそれを呑みながらちょっとしたロマンに浸ってもらおうという意図で作成されたものです。原文のまま掲載します。

"さんきゅうはづ"というぶどう(著/竹田 耕平) 1/3

南陽市は山形県におけるぶどう栽培発祥の地とされ、諸説あるが、その起源は甲州からきた金堀人が持ち込んだといわれている。
赤湯十分一山、急傾斜地で水はけがよく、南斜面で日当たりが良い。気温の日較差が大きく、眼下の白竜湖は水をたたえ常に谷風と山風を起こしている。
山形新幹線つばさの車窓に映るその雄大な様は山形を代表する景観のひとつである。

赤湯には"さんきゅうはづ"と呼ばれるぶどうがある。
「マスカットベーリーA」のことだが、赤湯では今でも育種番号に由来する「3986(さんきゅうはづ)」の名で通用する。「6」を読まない理由は定かではないが、地元赤湯育ちの私自身にとっても、実は "さんきゅうはづ"といった方がしっくりくる。
「ガソリンを詰める」と言ってしまう山形県民のような所謂「地域あるある」のひとつかもしれないが、この事実が歴史を紐解くキーとなることは面白い。

「マスカットベーリーA」は、岩の原葡萄園(新潟高田:現在の新潟県上越市)の川上 善兵衛 氏(以下「善兵衛先生」という)が、昭和2年に交配、昭和6年に初めて結果し、昭和15年に登録された品種である。
善兵衛先生の一万株を超える交配品種の中でも最も優良なぶどうのひとつであり、現在国内で醸造されているワインにおいてこの品種が占めている割合は大きい。
善兵衛先生が「日本ワインぶどうの父」と称される所以であろう。

記録によれば、善兵衛先生から苗木の分譲を受け、この地にはじめて導入されたのは昭和11年のことである。
"さんきゅうはづ"という独特の呼び方は、おそらく昭和15年に品種登録される前の「名前はまだない」時代に普及したことによるものではないだろうか。

この仮説の検証というわけではないが、次からは、赤湯のぶどう栽培の歴史を語るに欠かせない一人の男の生き様について述べてみたい。(次回へ続く)

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