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3月29日 女の子と話すと手が震えるようになりました。

最近は女の子と話そうとするだけで、手が震え始める。いよいよといった感じだ。
相手の視線が自分の手の震えに向かうと、今度は声帯が縮む。萎むと言った方が正しいのかもしれない。
僕は彼女に好かれたいがために、おはようと言う。もしくは全く好かれたいと思わない彼女にもおはようという。異性として魅力を感じない彼女に挨拶をすると、自分が理性的で健康な男子である気がする。知らない人には基本的に挨拶はしない。僕のことを知らないのであれば、挨拶をすることに意味がないからだ。
それにしても、しなくてはならない挨拶程かったるい挨拶はない。おはようございますの5、6文字が気怠くて仕方がない。おはようございますが実際の所何文字なのかは、視線を左に戻せば数えられるのだが、それすらかったるい。とにかく今はかったるい気分だ。
好かれたいがために、彼女におはようございますと挨拶をしたが、その後、毎度のことのように自責の念に駆られる。今のは気持ち悪かったのではないか、挨拶の奥に隠したつもりの下心を見透かされていたのではないか、等々。次の日彼女は僕に挨拶をした。昨日挨拶をする、されたの関係になったと思ったのか、向こうから挨拶をしてくれた。これを僕は無視する。恥ずかしくて堪らないのだ。昨日から続く自責の念は、僕の青々しくて緑色をしたドキドキの気持ちを未だに駆りつづけている。挨拶1つにドキドキするということは、下心があるということだ。また見透かされる。ものすごく恥ずかしい。よって無視をする。挨拶以外のことを話しかけてくれた彼女にも、はい、あ、はい、あ、とか言ってモジモジするばかり。意図的に「あ、」をこぎみよく挟むことで、男としてのの未熟さを意図的にアピールし、君とは釣り合わないので見たいなつまらない防御層をはる。
彼女が僕のいるレジに並んでも、昨日楽しくお喋りをしたのであればあるほど、僕は素っ気無くなる。彼女からすれば、頭のおかしなひとだろう。手の震えを使ってスラスラと日記を書いている。今。モテることを諦めた。疲れた。可愛い女の子は二度と僕に挨拶をしないでほしい。僕は勘違い野郎ではない。が、僕に挨拶をする女子は僕のことを好きだと思う。基本女子に挨拶をされることがない。そんな中彼女は僕に挨拶をする。僕のことが好きなんだろう。
なんてな。

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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。