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1月15日 卑弥呼と俺。

気圧のせいか、頭の中がホワホワしている。目の前で起きていることが現実であることは分かるが、現実味を感じない。言葉を発しても、相手に伝わった感触がない、というか、相手がどう思ったかまでを考える気力がない。

去年の夏、湯河原へ旅行に行った時、私はかつてないくらいの風邪をひいた。まさか自分が出掛け先で体調を崩すような、そうゆう運というかツキというかリズム感のようなものを、持っているとは思っていなかったので、かなり落ち込んだ記憶がある。湯河原にいる最中、ほとんどの音が聞こえなかった。耳が詰まってしまい、目の前にいる喉が太い女将の声が数十メートル先から聞こえた。私は飯を食い、ウンコをして、2回目の露天風呂に入り、21時には床に就いた。猿である。

湯河原からの帰り道、熱海に寄って、黄土色の商店街に群がる人々を見て、益々体調が悪くなり、そそくさと海の街を後にし、そのままの足で病院へと足を運んだ。

それから2日後に風邪は治ったのだが、耳詰まりは収まらず、難聴なのではないかと不安に思い耳鼻科へと向かった。結果的に、難聴ではなく風邪の置き土産とのことだった。

それから数週間して耳詰まりは収まったのだが、雨の3時間前になると、目の前の人達が数十メートル先から声を出すようになった。気圧を感じやすい耳になってしまったのだ。私は偏頭痛持ちで、雨の前日になると頭がかち割れそうになり、それを天気予報がわりにしていたのだが、そこへ耳が加わってきた。しかも、頭よりもかなり精度が高く、未だに雨を外したことがない。最近では職場の主婦達が、外が暗くなると私に天気を聞くようになり、雨だと分かるや否や自宅へと電話をし始めるようになった。

卑弥呼は昔、天気を予測することが出来たという話を聞いたことがある。農作物への影響を事前に加味することが出来た卑弥呼は村の人々に重宝されたそうな。
時代が時代であれば、私はかなり上の方まで登り詰めることが出来たであろう。卑弥呼は出掛け先で体調が悪くなるタイプの人間だったことに、歴史が地続きであることを感じた。なんか素敵ね。

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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。