3月19日 友人。
学生を終えると、知らない人がいる環境に触れ合う機会がない。仕事が休みの日は、気の合う友達と遊ぶ。わざわざ貴重な休みの日に、気の遣う必要がある人と顔を合わせる気にならない。だから友達になれそうな人が出来ても、僕はそれ以上自分から踏み込むことが面倒で結局連絡が途絶えてしまうことが多々ある。そもそも学生時代も友達と呼べる人は10に満たなかった気がする。それで結構。
そんな僕に最近友達が出来た。
ファイヤーダンス失敗こと山口君と、ボウルに一杯のポテトサラダことポテサラ君とぺっちゃんと足立君だ。彼らに初めて会ったのは先月かなんかだ。
下北沢で待ち合わせをした。
皆は元から仲が良くて、そこに僕一人が行くという構図だったのだが、何故あの時行ったのか未だによく分からない。本来とても苦手なシュチュエーションのはずだった。普段であれば絶対に行かないはずだったのだが、この時に限っては絶対に行かなくてはならないと、理性とはまた違った所からの圧が内側から湧いてきた記憶がある。こうゆう時はそれに従うと僕は決めている。
人生には要所要所で外してはならない箇所があると思う。
それを絶対に外さない自信がある。
これまでも確実に正しい選択をしてきた。
大抵こう行った内側からの圧というか本能的な命令のようなものに従っていれば、外さずに済む。
皆と遊んだ帰り道、やっぱり俺は外さなかったったんだと思った。
この歳で友人と呼べるような人達と出会えるのは、とても喜ばしいことだと素直に思う。
先日山口君の家に遊びに行った。とてもいい部屋だった。
その日の夜にはすでに僕は、夢の中であの部屋の住人となっていた。
テーブルの上に紙パックのピルクルとチョコビが置いてあって、カーテンレールに逆さまにぶら下がっている花が綺麗で、照明がオレンジで、とにかくいい部屋だった。山口君に生活を分かっている人の部屋だねと言ったら、どうゆうこと?って言ってて、それもなんだか良かった。
部屋というのは生々しいものだ。初めて誰かの家に入った時に感じる、新鮮さや懐かしさ、嫌悪感、共感、違和感、等々のアレらは何なのだろう。
とても本質的なものにぶつかった時と同じような気持ちになる。
部屋という空間にはきっと、住人を通して流れてきたこれまでの時間の形跡が凝縮されているのではないかと思う。住んでいる本人には決して気がつけない。と言うよりも気がついてはいけない。
部屋の隅々にまで流れる空気感を完全に把握している人間がいたとすれば、その人は自分のことを完全に理解しているということになる。そういった人間の部屋は不自然だ。面白くない。モデルルームを見ても何も感じないのはきっとそうゆうことなんだろう。
とにかく僕は、山口君の部屋と山口君に共感したのだ。
山口君は同い年なので、見ていて言い訳が出来ない。同じ年数を生きているので、どうしてそうなれたのかといくら疑問に思っても、それはこれまでの生き方に帰結するということになる。
山口君はとても不思議な人だ。僕の中で前例がない。心地よい風がずっと吹いてる。でも生暖かい訳ではない。その中に鋭さのようなものも感じる。僕が放った言葉を、彼がどう受け止めるのかがとても気になる。
そして彼は目が真っ直だ。間違いない奴の目をしている。
山口君とポテサラ君と、ぺっちゃんと足立君が来るのを待った。
ポテサラ君を見るといつも畳を思い出す。何故だろう。落ち着く。
ポテサラ君は全ての楽器が出来ると豪語していたのだが、掘っていくとマラカスのみ振れないということが発覚した。山口君がマラカスのプロってあるのかな?と聞くと、ポテサラ君は知らないとあっさりして、おもむろにギターを取り出した。弾けねえじゃん!というツッコミをどこのタイミングで入れようかドキドキしていると、そこそこ弾けていて笑った。
ぺっちゃんと足立君が着いた。ぺっちゃんはカッコイイ。色気がある。未知数。ずっとアド街見てえと言っていた。足立君はとても愛嬌のある人だ。可愛い。彼の悲しい顔を見たくないし、彼に悲しい顔をさせる奴を俺は許さないと思える程、その人柄がバシバシに伝わってくる。
足立君が黙々と僕等のために何か作業をしている中、山口君と、ポテサラ君とぺっちゃんがくだらない言葉を重ねていた。そこには4人の厚みのようなものがあって、僕はドキドキしながらそこにくだらない言葉を重ねた。それにまた誰かが言葉を重ねてくれて、それがとても嬉しかった。
もっと皆のことについて書きたかったけど、一人一人が濃いから。
今日は疲れたし。おしまい。
ワクワクするね。
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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。