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鍵をかけたかどうか不安になる人への結論

1.はじめに

「外出中にこたつの電源は切ってきたか」「元栓は締めたのか」等々不安になることが多々ある。
なかでも最もしんどいのが「私は家の鍵はかけたのであろうか?」だ。
こたつや元栓は「当日中に帰れば開いててもまあ大丈夫か。」と思うことができる。
その点「鍵」は違う。「当日中に帰れば開いてても大丈夫」かどうかは、空き巣にかかっているのである。職場から5分で帰宅しようと空き巣が侵入してしまっていてはOUT。こたつでいうところの火事だ。
命運を空き巣に握らせてしまっている状態に耐えられない、かと言って仕事を抜ける訳にもいかない、この板挟みの状況に僕は日々苦しんでいるのだ。
気にしなければいい「どうせ鍵をかけたに決まっている」と思って、帰宅したら鍵はしっかりとかかっている。次第にどんなに出掛け先で不安になろうとも「鍵はかかっている」ということが分かってきたくらいの日に、鍵がかかっていないことがある。自信を喪失し、己を信じることができなくなったら最後「鍵をかけた!!」という自分の明確な記憶すら疑わしくなってくる。
ではどうすればいいのか。
あらゆる試行錯誤を重ねた結果、遂に「鍵をかけた自信を持つ方法」の答えが出たので、皆様に共有しようと思う。

2.覚えられないの?

そもそも「覚えられないの?」と思われる方もいらっしゃるだろうが、それがかなり難しい。
日常的に行っている行為、つまり「ルーティンワーク」とは思考の放棄のことである。運転における全ての動作を意識的に行うことが不可能であることと同じように、生活の中で一々「家の鍵をかける!」ということを意識的に行うのはかなりの負担になる。毎日充電しなくてはならないガジェットが、一つ増えた時の怠さと同じくらいの負担量だ。
しかも家を出る時は、人が一番急いでいる時間である確率が高い。一々記憶なんてしていられる余裕がない。
ではどうするか。外部に記録すればいいのである。

3.試行錯誤

3-1.録画
これまで大勢の人に「鍵をかけた瞬間の動画を撮影する」という方法をおすすめしてもらった。
やってみたところ、まずスマホを一々構えなくてはいけないということがかなりめんどうであることが分かった。そして住民に見られたらどうしよう?という若干のストレスを感じる。
左手にスマホを持ち、ビデオで録画しながら、右手で玄関の鍵をかける。この時点で僕の自己肯定感がかなり揺らいでしまっていることが分かった。
というのも自分を俯瞰して見た時に「俺は阿呆なんじゃないか?」という疑問がどうしても拭え切れないのだ。
それでも僕は頑張って毎日動画を回し、己が鍵をかけているシーンを収め続けたが、途中であることに気が付いた。
それは二重構造になってしまっているということだ。
まず動画に頼っている時点で「実際に鍵をかける」という行為への意識が薄らぐようになってくる。
「実際に鍵をかけた」という行為を記憶することができないから、外部の記憶装置に頼っている訳で、それはつまり自分の脳で記憶することを諦めているということでもある。なので「鍵を閉めたかどうか」の判断はスマホの動画を見てすることになる。さっきから同じことを言っている。
ここでなにが言いたいのかというと、「鍵をかける」という実際の行為よりも「スマホで動画を撮る」という行為の方が、僕の中で「鍵をかけた感」があるということだ。
次第に「動画を撮影していれば鍵は閉めているだろう」という気持ちになってくるのである。
そもそも鍵をかけ忘れるような人間は、動画を撮影し忘れることもある。急いでいたりするとなおさら。となった時に「動画を撮影していない」=「鍵をかけていない」という風に自分の脳は理解をしはじめた。その時にこのやり方はダメだなと思った。
玄関は実際にかけなきゃいけないし、動画を回し忘れたら鍵をかけていないことになるしで「二回も鍵かけるようことしてんな。」と思ってこのやり方は諦めたのである。それとスマホのギャラリーのところに無数にも及ぶ自宅の玄関のサムネイルばかりが並んでいると「自分は頭がおかしくなったのではないか?」と落ち込んでしまうので、やはり辞めた方がいいと思う。

3-2.新アイテムチェッキー

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最近色々な人から「チェッキー」というアイテムをおすすめされた。画像で見てもらえれば大体予想はつくと思うので説明は割愛。
というかもうこの段階で無理なのである。
これは玄関の鍵ではない。玄関の鍵と間接的に関わっているものである。
先程のスマホもそうだが「鍵をかけたかどうか」の真実を外部に託してはいけないのである。
あの子が人前でいつも笑っているからといって、幸せとは限らないでしょ。って話だ。

4.ついに発見した方法

長年苦しんできたが、遂に僕は「鍵をかけた!」と記憶する方法を見つけ出すことができた。
それは鍵をかけた直後に「一度自分を空き巣だと思い込んで家に侵入してみようとする」である。バカみたいな話だかこれがかなりうまくいく。
毎回僕は空き巣の役に入り込む。そしてドアノブに手をかける。「なんだよ!閉まってんじゃねえか!ちくしょう!」と本気で思う。空き巣になりきっているからほんとに思う。その時の感情がバイト先に着いても中々忘れることができないのである。
つまり「感情」で記憶するということである。「嫌だったり」「嬉しかったり」「悲しかったり」したことって、すごい覚えている。
鍵をかけたかどうか不安になったときは、胸に手を当てて「今日って泥棒したっけ?」と思ってください。「できなくて悔しかった。」となれば、それは鍵をかけたということです。

あと最近すごいことに気が付いたんだけど、僕達は実際に「鍵をかけたかどうか」なんてことは多分どうだっていいんだと思う。開いててもいい。
そんなことよりも「鍵をかけた」と思えればそれでいいのである。


落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。