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9月29日 生温い日々

この一年、僕は「生活」や「日々の暮らし、それに伴う時間」について、たくさんのことを書いてきたかのように思う。
これらを見逃している人間のことを阿保だと思う一方でたくましくも見えていた。
いつまでも続かないだとかそんなことばかりを書いては、ニヒルな気分になっていたのだが、これはこれで楽なのではないかと最近疑問に思うようになった。カネコアヤノの「燦々」というアルバムで、抱いていた疑問が確信へと変わった。彼女はいつか無くなってしまうようなことを見逃さず、それでいてそれはいつまでも続くと歌う。「泣かした誰かのことを思い出したって仕方がない」という歌詞を聞いて、正直な人だなと思った。でもそれは本当にその通りで、自ら不幸を選んでも仕方がなく、自分自信で解決していくべきなのだと僕も思う。
文藝界かなんかの雑誌の中に、「ここで描かれている主人公は、悩みが深いのではなく、単に頭が悪いだけなのではないか。」という書評があった。
5lackというラッパーの「成仏出来ないお前は優しさが好物。 端の方で文句垂れてんのがbetter」というリリックを思い出した。

大切なものでポケットの中はパンパンで、これ以上は何もいらないと思っていたし、それを失われていく日々に怯えていた俺は、頭が悪くそして心が弱いのだと思う。
生きにくいと感じる殆どの人間は、感受性が豊かなのではなく、甘いだけなのかもしれない。
ブッ殺してやる。今年はそんな気持ちがしっくりくる。

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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。