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別室登校と親の付き添い
こんにちは、鬱っ子大学生、おちゃっぱです。
今回は、別室登校をしていた時のお話です。
前回「消失欲求について」はこちらから
https://note.com/ochappapappa/n/n800e77de9399
タイトルからもわかるとおり…
以前別の記事で、ある日急に電車に乗れなくなり、不登校が始まったと書いたのですが、それ以降学校方面の電車には乗れないままでした。
それでも中学と違って単位を落とせない高校で、教師陣は何とか私に登校してもらおうと説得していました。
でも私はクラスどころか学校に行けない。
学校は単位取得のために私に来てほしい。
そんな両者の意見の間を取ったのが、「別室登校」でした。
読者さんの中には、今現在別室登校をしてる方、あるいはその親御さんがいらっしゃるかもしれませんね。
私は読書が好きという事もあり、本館から離れていて滅多に人の来ない図書室での登校でした。
でも電車には乗れなくて
そうなんです。いくら来いと言われても、電車に乗ろうとすると足がすくんでしまうのが現実。
そんな私に、やはり登校を再開してほしい両親は、毎朝学校に送っていくことを約束してくれました。
当時の私の学校は家から一時間ほどの場所。しかも二人とも職場とは別方面・別路線でした。
行きたくなかったあの頃の私は、余計なお世話と思っていましたが、今となってはわざわざ時間とお金をかけて学校まで送り届けてくれていた両親に頭が上がりません。
同じようにお子様を送迎されている親御様。
私が言うのもおかしな話ですが言わせてください。
ありがとう。
泣きながら行った日々
毎日学校が近づくにつれ足が震えて、無意識のうちに歩が止まる。
足が動かなくても、親の仕事と労力を考えると行かなくちゃ行けない。
色んなプレッシャーと、どうしようもない悲しさや絶望感で毎日辛い日々でした。
親や教師には内緒にしていましたが、トイレや一人になったタイミングでいつもこっそり泣いていました。
人に泣いている姿を見られたくない、という羞恥心もあったのですが、それ以上に「ここで泣いて、泣くほどのものじゃないだろ、って思われたらどうしよう」なんて被害妄想が酷くて、いつも一人のタイミングでしか泣けませんでした。
そして私の別室登校は、超時短でした。
毎日朝七時頃には学校につき、そのあと10時か11時には帰宅。
なぜそんなに早い下校かというと、単純にそれ以上学校に居るのは耐えられなかったんですよね。
最後まで学校に残ってクラスメイトと鉢合わせも嫌だったので、それも避けるためです。
さいごに
親は今でも私が学校で一人泣いていたことを知らないと思います。
この後、私の不登校話の中でもかなり辛かった、両親との転校問題についてのバトルが始まります。
親はそれを知らなかったからこそ、ああいう選択肢を提示したんだと思いますし、私が素直に泣けていたら、もっと苦しまずに済んだのかもしれないなと思います。
そのお話は次回。
最後にお伝えしたいの事、まずは現在別室登校や、時短登校を頑張っている方。
偉いです。
行きたくない、苦しい、怖い。
色んな感情が渦巻いているだろう中で、勇気を振り絞って、登校できているのは凄いことなんです。
行けていないから悪いわけではありません。人にはそれぞれできることの基準が違います。
でも理由が何であれ、一度は不登校を選択したのにも関わらず、どんな形でも登校できてるあなたは凄いんです。
次に親御様。
前々から言っていますが、本当にお子様のことが心配だと思います。
特に今回私の体験談として、陰で隠れて泣いていたなんて言ってしまったので、余計不安を煽ってしまったかもしれません。
何度も同じことを言ってしまいますが、お子様を褒めてあげて下さい。
必ずそうではありませんが、頑張って出来たことを褒めてもらえないと、次にできなくなってしまうと思うんです。
「今日も行けて偉いね」
その一言だけでいいので声を掛けて下さると、お子様も、あの日の私も少し救われます。
拙い文ですが、私がお伝えしたいことは以上です。
次回は先ほど述べたように、転校を選択した時のことをお話します。
それでは。