茶の湯から、習わぬ健康祈願をいたしましょう
〓門前の小僧、習わぬ経を読む〓
門前の小僧さんは
朝、落ち葉を掃きます。
真昼も、落ち葉を掃きます。
夕暮れ、また落ち葉を掃きます。
聴こえてくる読経の響き
今日も、小僧さんは落ち葉を掃きながら、一人、心に習わぬ経を読む。
少し、年月が経ち、まだまだ小僧さんの青年僧は、世間を学びに巷へ参ります。
心に生まれる雑念をはらう。
また、心に生まれる妄想をはらう。
やはり、心に生まれる悩みをはらう。
思い出す、師匠の言葉
掃いては散り、散っては掃く降る落ち葉は、
「人の煩悩と同じ。掃ききれるものではないのだよ。」
そして、
「掃ききれぬことを恐れるな、掃ききれぬことを恥じるな」と云う。
祓いきれない煩悩、悩み。
人が生きる間、けして絶えることはない悩み。
その間、生涯、私たちに寄り添ってくれるのは自分自身の「呼吸」です。
稲電流の茶の湯の肝は、呼吸。
茶の湯を通して、
地、水、火、風、空、万物の呼吸を頂戴する。
自らの呼吸を浄化して、自らの悩みに心を縛られることなく、柔らかな呼吸を得ましょう。
悩みは自身にあっても、悩みだけが自身ではありません。
法華経のお寺から広くお伝えしたい「稲電流の茶の湯」は、自らできる「健康祈願」です。
他力本願、自力本願に偏らず。
自分自身の呼吸は、自分自身で安穏を願えるものです。
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