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日々のこと9 半年の間のこと、不安の日々

病は自分の一部。
こちらは日々の暮らしのいろんなことの記録です。


気が付けば記事を書くのが半年ぶりらしい。
大体週一で投稿できたらいいなと思っていたのだけど。
振り返る半年前は昔のことのようで、日記を読み返さずとも思い出せる鮮明さもあり。

その間に何があったかといえば、まずは娘のメンタルと身体の不調。
これをまっさきに挙げてしまうのはどうかと思うのだけど、このことが私のさまざまなことの渦の中心であると思う。
ほとんど学校を休んだことがない娘が「学校に行きたくない」と口にするように。
こういったことに向き合っている間、私ももちろん心配だし、どうにかしたいし、力になりたいし、でも学校に欠席の連絡をするくらいしかすることがない。そして気持ちが揺らぐことが多くなりうまく睡眠がとれなかったりした初夏から夏。
猛暑の夏が始まった7月のある朝、いつものように朝食を食べながら新聞を読んでいたらぐらっと大きくめまいがして焦ったことがきっかけで、熱中症?更年期?、・・・再発?、とナイーブなもやもやが続く。

そうなると、不安、不安の日々。
自分の身体の変化、身体の中で起きている変化にいちいち敏感になり、自分の脈動で動く身体に、どうした?!まためまいか?となり、リンパを切除した左の首が張るとがんのこと、手術のことを思い出して不安になる。
そして8月のある朝、娘が体調不良を訴え、結果近所の大き目の病院で血液やCTをとり腸炎と診断、1週間ほど安静という事態に。
私もその後、夜に急な熱感で熱中症を疑い、夫に救急相談の電話をお願いし、救急車を呼ぶ。

細かく描写することを避けているわけですが、救急隊員の方の私の状態の観察、聞き取り、見抜き方はすごかった。
隊員の方も「生死に関わる方を助けること」が救急隊の役割であることも伝えてくれつつ、適切に対処してくださいました。
救急相談から既往病等の聞き取りから出動しますと判断してもらいお世話になったわけだけど、NHKのドキュメンタリーで観た「電気がつかないのでなんとかしてください」とかとそれほど変わらないものだったのではと少々反省もありつつ、あの時はどうにもならなかったのも確か。
日付が変わるちょっと前の時間に近隣で受け入れてもらえる病院に搬送してもらい処置してもらう。

その後の私は、近所の内科で今回の一連の経緯をお話してなんだかんだで高血圧の治療を再開、不眠について心療内科への相談の検討、後日睡眠が改善され、血圧も安定、夏にあった不安も減った。
今年の夏は、7月のめまいをきっかけに暑いと感じることも怖いと感じ、お風呂も怖い、お風呂上りも怖い、寝る前に明日起きてまた同じ日を繰り返すのが怖い、怖いこと、不安なことだらけ。外出しても自分以外の人達はこんなに普通に出かけたり遊びに行ったりしているのに、という考えになり、外出して倒れたらどうしようと怖くなり不安で外出も控えるように。

今、久しぶりにまた自分の気持ちが生活で感じたことをnoteに書きたいな、と思えるくらいになった。
娘は受験生らしい色んなことはあるけれど、学校に行きたくない、となるほどには落ちることもなく過ごしている。帰宅後、気分よく歌ったり学校や塾でのことを話してくれる通常運転。
私が落ち着いたからなのか、娘が落ち着いたからなのか、にわとりと卵的にお互いちょっとトンネル一旦抜けたね、という感じ。

不安マックスの救急搬送から、これが安心、落ち着くということなんだ、と久々にしみじみと実感できたのは救急車のストレッチャーの傾き具合、近所の内科で3時間まって受診できた時の医師の問診、採血で横になったベットで掛けられたタオルケットや枕、周りの話し声、「寝ちゃっててもいいですからゆっくりしてくださいねー」という看護師さんの声かけ。
回復期の始めのころは、ひたすらこの安心した経験を思い出して、今も安心できてると感じることを続けた。
あのベッド、再現したいくらい落ち着く。
あのタオルケットとかの柄の統一感のなさとか、くたびれ具合とか、よかったな。

あれやこれやと先走って不安になることって、
それ、まだ起きていないですよね、起きてないことに不安になる必要ないですよね
という理屈を理解する前に襲ってくる。
・・・なったらどうしよう
という理由は後から浮かんできて、その時には重苦しい何か、不安感というやつが身体を覆いつくしていたりする。
それを、はい、それ今大丈夫でしょ?と取っ払おうという元気がないもんだから、うっすらずーっと不安感のコートを着込んでる状態。毎日のように重ね着を続けた末に着込んだコートが自分自身になってく感覚。取り込まれていく。

この半年の流れはこんな感じ、だったのだけど、とにかく安心を感じることと並行して私が向き合ったことは

・病院や健診前に緊張して血圧が高くでる
・・・もしかして普段から高いんじゃないの?家で計るのも緊張するようになって実際わからない、高いのやだな。となんとなく逃げていたこと。

・娘に向き合う私はどうする
・・・それにしても娘のことに影響されすぎてやしませんか?
自分軸とはよく言うけれど、共感しちゃうのはしょうがないとして、共に経験してしまうのではなく、私は私のままそばに寄り添うことはできないものか。いつのまに眠れなくなったり娘と同じように自分が具合悪くなってることって、私の問題だよね。

というあたり。
近所の内科を受診したことは、不安を払拭するために行動している、という自信をもたらし、娘と向き合う自分と向き合うことは、結局のところ自分も周りもご機嫌に過ごすことにつながりそう。

ようやく過ごしやすい秋が来たと思ったら、冬!になってしまったこの頃。
手術して丸2年が過ぎた。
相変わらず調子よかったりよくなかったり、周りが調子よかったりよくなかったり、思わぬハプニングがあったりなんにもなかったり、あれやこれやとやっている。

色々ありますね、

と、同志みたいな誰かとその一言を言い合ってお互いを称えあえたらと思う。

自分のことを書いているけど、同志みたいな誰かに向かって書いている。
また楽しかったこと、うそでしょ?ということ、いろんなことを書いていきたい。


そんな中でも笑ったり楽しいことはある
再びの長崎日帰り
やっぱり暑すぎたので過ごしやすい季節にまた行きたい 
ちょっと立ち寄った海水浴場がよかった
受験モードが落ち着いたら家族旅行をしたい


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