子供は毎日思い出を作っているんだね
失敗が怖い。
昔怒られた時の記憶。
親の顔、先生の顔、子供の顔、恐い顔に怒声、困った顔と落胆した言葉、面白がっている顔とコソコソ話。
何故怒られてるのかわかるようでわからない、応えたくても応えられない。
家に帰ってもしっかりしろと怒鳴られるばかり、共働きな両親ものんびり婆ちゃんも遺影の爺ちゃんも庭で寝てる犬も助けてくれない。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
自力で覚えた解決方法は黙って怒られること、それから学校に行かないことでした。
そして、怒られた時のあの空気感にいつまでも怯えています。
助けを乞う、誰かに頼るということは多分覚える機会がなかった。
きっと見守ってくれる人はいたと思う。
でも、「大丈夫?」と手を差し伸べてもらった記憶はほぼない。
多分、今同じような事を私の子供が経験している最中。
私には怒るという育て方が染みついていて、その悪影響は私が一番よく知っている。昭和の人間ですから。
怒るのは手っ取り早いので使いがちだけど、最終的には子供をコントロールすることにはならないよ。信頼を失うし、根付いた恐怖は抑制が難しいです。
育児書や経験者の発信等だいぶ読み漁ったし、問題に直面した時どういう言い方をすればいいかは何となく知っている。
ただ、知っていてもできる時とできない時がある。
できない時はとことんできない。
誰かが、子供の成長は今だけなんだから、子供に当たりたくなったら自分を殴ってでも止めなきゃと書いていた。
私はすんなり自分を殴った。殴られ慣れているから余裕だ。
殴ったうえで、これはよくないなと感じた。例え拳が自分に向いていても、暴力を振るっている状態には違いない。
悔しくて冷蔵庫の扉を凹ませた。ゴミ箱を破壊して大泣きした。こんなのいけないと思うと逆に暴れたくなる。
後から思えば、「赦す」とか「慰める」ことが圧倒的に足りていない。
自分に優しい声をかけることをしていない。
それができれば子供にも優しくできるだろう。
実際、できる時はとことんできるから。
今も私は誰にも助けてもらえない、誰からも責められるだけだと思い込んでいる自覚があって、助けてとは口が裂けても言えない、非常に強力なブロックがかかっているのを感じます。
これを主人からは「プライドが高い」と言われました。プライド…そうかぁ。
とりあえず、子供にはこんな困った人間にならないで、人と上手に助け合えるようになって欲しい。
その気持ちは、子供を結構甘やかし振り回しています。
難しいねぇ育児って😓
できないことは放置する子。大事な事ほど話さない子。意味もなく謝る子。説教の最中に笑っちゃう子。
こういう時どうする?の例を沢山持っておくと安心だけど、正直、それらを勉強しようにも時間が限られているので…
追いつかない場合はせめて、使う言葉に込める愛や美しさ、その日一日において叱ると褒めるのバランスなんかを意識してみたら良いかもしれない。
今は子供達は学校を始め外出先で学ぶことが色々あるだろうけれど、ベースは家庭だという事を常に意識できるように。
大人が忙殺されてる間も、子供は確実に経験を積み重ねているわけだから。
だらしない日も、空回りな日も、全てが子供の要素になっちゃうんだから。
宿題やる気がなくてゲームばかりしてても、部屋散らかしたまま玩具や塵の上に布団敷いちゃってても、重ねた食器の間に残した野菜隠してても、夜中に姉妹起こしてドタバタ遊び始めても…(ふつふつと湧いてくる怒り。笑)
しっかり注意はしても、絶対絶対子供の味方でいられるように。
昔だったらもう怒鳴られ殴られていただろうその瞬間、諭す言葉を繰り出せるような親になるべく、子供と一緒に育っていきたい。
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