
海辺のまちと珈琲の香りと 『南風譜 牧野信一へ』 坂口安吾 1938年 昭和13
牧野信一の死: 1936年〈昭和11年〉3月24日
『南風譜』
1938 年 昭和 13
ぐぢ ( ぐじ ) は、京都で高級食材として好まれるアカアマダイという魚らしい。おそらく京都では、ぐじで通じるが、他の場所ではその呼び名では無いような気がする。

紀伊という場所で、アメリカに渡ったという人物で有名なのは 南方熊楠 がいる。南方熊楠は、1900 年、明治 33 年に帰国して 1941 年 昭和 16 年に亡くなるまで和歌山に住んでいた。
南方熊楠の家だった屋敷には訪ねていったことがある。
あれは夏で、鬱蒼とした庭には蝉が鳴いていて、門前に立って中の様子を見ていると、ちょうど屋敷の門まで中から女性がでてきて、家のなかへ招き入れられて、麦茶をいただいた。
熊楠によって収集されていた、あらゆるワケの分からない事情で集められた動植物の干からびたものが、そこかしこの引き出しにつっ込まれたまま、うじゃうじゃと交わって残っていて、それはもうタイヘンで分類、分析して資料に残すことができるまでは、捨てることも出来ず、ただ在るだけでどうにもできないというお話をきいて、隣にそのための資料分析する人々が出入りできる建物を作っているところであるということだったような記憶がある。
紀伊を舞台にしたこの作品が、昭和 11 年ということは、南方熊楠は、まだその頃は、その舞台になる海辺の町のちかくに生きてはいたということか。
そして、その 2 年前に亡くなっている作家 牧野信一 に捧げられている短い旅行記のようなこの創作は、なんだか色の薄い柑橘類のような印象で暑くもなさそうな温度感だ。
”空気銃”、
”妄想のみが達しうる特殊な現実”、
"静かさ"。
きくよむ文学
『 南風譜 ( なんぷうふ ) 牧野信一へ 』
▼ 字幕あり / 字幕機能を有効にすると日本語字幕が表示されます
▲
字幕オン/オフはこの辺にクリックするボタンが表示されます