あなたの思い出の山頂飯はなんですか?子どもと一緒に、はじめてトレッキングしてみた〜塩塚高原編〜
季節の変わり目は体調を崩しやすいと言われますが、
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
私どもは、長男の風邪から次男が風邪をひき、治ったと思ったら、父母、爺婆と風邪菌の洗礼を受けて一家丸ごと1ヶ月近く風邪っぴいてました😂とほほ…
寒いからどこも行きたくないという気持ちもありますが、外に満足に出られない日が続くと、山に行きたい…いや、帰りたいという謎の山帰り現象が現れます。猿かな??
あゝどっか山…非日常的な…あんま人おらん…
子連れでも行きやすい…なんか楽園みたいな…
空が近いとこ…空気澄んでるとこ…
遠くは嫌だし、近すぎるのもなんかちゃう!という絶妙に繊細な乙女心が旦那さんには、イマイチ伝わらず。どこでもええから早く決めてくれと呆れられました。
しかし、旦那さんが丸投げしてくれたおかげで、その晩古い記憶が蘇ります。
あれは…
小学五年生の夏…
みんなで……がんばって登った……
せーのっ……塩塚登山!
を、思い出しました。塩塚とは、四国中央市の新宮にある塩塚峰のことで、春は若葉、夏は深緑、秋はススキ、冬は雪と四季折々の自然が美しい山です。塩塚の由来は、愛媛と徳島の県境で塩を運ぶ交易路があったからではないかと言われているそうです。四国中央市では、新宮少年自然の家学習で登山する山でもありました。
初めは、なんで登山なんかとブーブー文句を言っていた生徒たちも、いざ始まれば頑張って登りだし、山頂に辿りつく頃には、登山の楽しさに心を奪われます。例に漏れず運動嫌いな私もそんな生徒のうちの1人でした。
山頂で担任の先生が『どうだ?この景色は!!苦労して登った者だけが味わえるんだ!!!』と話し、美しい景色に感動していたら、車で颯爽と登ってきた校長先生を見つけてしまい『車??車で!?車でも来れるんかーーーい!!!』と人生で初めて盛大にツッコミをいれた場所でもあります。
その後、先生からりんごを丸ごと1つ渡されて、丸齧りして食べた記憶のせいもあり、私の中での登山というものは、山頂で旗を刺したら、必ずみんなでりんごを食べるものなんだと思いこんでいました。別にりんごを食べんでもええんやで?という事実を知るのは、まだまだ先のお話です。
ところで、りんごって、今でも自然学習で食べてるのかな?いつから、りんごの丸齧りになったんでしょうか?四国中央市以外でりんご丸齧りをあんまり聞かないので、誰かわかる人いたら教えてください。とりあえず、勝手に四国中央市の七不思議に認定しておきました。
とにもかくにも、塩塚高原。
今どうなってるんだろうという思いもあり、行ってみようということになりました。ルートは、1歳児と3歳児もいるので、登山ではなく、かつて校長先生が颯爽と現れたコース。車コースで行きます。
いろいろ行けそうな場所もありましたが、駐車場もありそうということで、塩塚やすらぎの広場と塩塚高原展望台を目指すことにしました。※後で気づいたのですが塩塚高原展望台は、徳島県でしたスイマセン←
塩塚へ向かう道は、かなり細めなところもあります。台風の影響で回り道しなければいけないところもあり、車で運転して行かれる際は、気をつけてください。
道すがら、素敵な風景にもたくさん巡り逢えます。中でも、美しい茶畑が広がる新宮の集落には、感動しました。
山は寒いだろうと思って着込んできましたが、やっぱり下界とは空気が違います。寒いけど、駐車場から空気が違う!空気がおいしい!と全身でマイナスイオンを吸収しました。
塩塚高原を目指す道中も、非日常感たっぷりなドライブを存分に楽しめるのですが、着いて降りた瞬間の空気の質感に、山にきたぞーー!!という高揚感が爆発します。
トンネルのむこうは、不思議の街でした
と言わんばかりの、別世界。どこまでも果てしなく続く道、道、道…感動するのも束の間、野生児代表のような次男がよちよち歩きで爆走します。
山の尾根を見渡しながらのトレッキングがめちゃくちゃ楽しかったです。本当に次男が気に入ってくれたようで、どこまでも歩いてくれました。ちょっとでも抱っこすると、怒られました。そのかわり、長男には、俺をずっと抱っこしろと怒られました。
春夏は青々しい緑が美しく、まるでもののけ姫の世界のよう…秋はススキが黄金色に輝いてナウシカの世界のようでした。違う季節にも、来てみたい場所です。
ヨチヨチ歩きなのに、前世マタギか?というくらい誰よりも力強く歩む次男がワイルドでした。ただ、テンション上がりすぎたのか、転がりながら登ってくれたおかげで全身草と土まみれでした。でも、幸せならOKです👍
塩塚高原展望台には、素敵な展望台があり、一本道が東山魁夷さんの絵画を連想する程にエモく、塩塚高原やすらぎの広場の方では、パラグライダーができる場所もあり迫力満点、山の尾根の広大な美しさを間近に感じることができました。
とろこで、山に帰りたいという不思議な感覚は、一体どこからきたんだろう?塩塚で美しい景色を眺めながら、この自分に湧き上がったノスタルジーの正体を考えました。
今までは、単純に、疲れたから?景色が見たいから?と思い込んでいましたが、どうやらそれだけではないことを確信します。大学時代に修験道の山寺で過ごしていた記憶が今の自分の感覚に深くつながっているではないかと気付きました。
まだ大学生だった頃、和太鼓部に所属していたのですが、その和太鼓部では、年に一度、山寺に泊まり込んで、ご飯をつくり、夜には太鼓を叩いて宴会するという謎のお祭りがありました。
先輩たちからは、『トイレは外だし、街灯ないし、雑魚寝だし、真っ暗だから怖いよ〜』と散々、脅されていたこのお祭。普段は、古民家の展示でしか見たことないような大きな古いおくどさんを使って、大量のあんこう鍋を作り、日が暮れるにつれて、地域住民の方をはじめ、力士、舞妓さん、落語家さんなどなどたくさんの人たちが集まって、舞えや歌えやのどんちゃん騒ぎをしました。
その時の愉快な山寺の副住職さんが、私たちの和太鼓部の顧問であり、師匠でした。
私は未だになんの祭りかよくわかってませんが、個人的にそのお祭りが大好きになり、気がつけば、師匠がお寺に行く度に、一緒に着いて山に入るようになっていました。
山に入っては、師匠のお弟子さんのマイケルと一緒に境内の掃除をしたり、大きなおくどさんでご飯を作ったり、訪ねてくる住民の方たちと一緒にお茶をしたり、山伏の法螺貝をふくマネをしたり、滝行してみたり、小坊主のように遊ばせてもらいました。
朝は、霧がかった緑と山寺の荘厳な空気を感じ、夜は、恐ろしいほど深い静寂のなかで澄んだ夜空に包まれ、
そのすべてに、懐かしさと安らぎがありました。
でも、ボットン便所までの長い渡り廊下は、今、思い返しても死ぬほど怖かったです。
山寺からもう少し登っていけば、京都の街も滋賀の琵琶湖も見渡せる山頂がありました。ここからの絶景は何度見ても感動しました。
この時、山頂で必ず食べさせてくれたのがカップラーメンです。『山では、カップラーメンやで!』と師匠に言われて、カルチャーショックを受けた私は、マイケルからも『まぁりんごもええと思うけど、絶対食べないかんわけでもないで?』と優しく教えてもらいました。ちなみに、マイケルの山頂飯はポップコーンだそうです。めちゃくちゃアメリカンでした。
何はともあれ、この経験も、山に帰りたいと思う感情に深く繋がってきているのではないかなと思います。山は来るもの拒まずで、飲み込まれてしまうような畏怖感と包み込んでくれるような安らぎを与えてくれます。表裏一体で、生きている感覚を実感させてくれる場所なのではないかと思いました。
前回、暁雨館の山と人展でたくさんのことを学び、今回実際に山に行ったことがきっかけで、自分の気持ちや人生の大切な部分を、また整理できたような気がします。
喧騒から離れ、動物の声や草木の音だけが聞こえる場所で、家族の時間を過ごせたことは、また一つ大切でかけがえのない思い出になりました。
登山、トレッキング、ハイキング、キャンプ、パラグライダーなどなど、いろんな楽しみ方ができる塩塚高原。四国中央市の絶景のベスト5に入ること間違いなしだと思っています。
皆さんの山頂飯はなんですか?私は、子どもたちが、もう少し大きくなったら塩塚登山に再挑戦し、りんごとカップラーメンを食べたいと思います。
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