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心のエバーグリーン


例のおじさん体臭発言の方の

「東京がクサイ」というのはね

ワタクスもわかりますねぇ


昔は仕事で電車で通った時期も

あるのでなんとなくわかります


いろんなものが混じった臭さって

あると思うんですよ、それがね

地下鉄の通路とかちょっとした瞬間の

ぬるい風とかで感じるときあったな



なんていうんでしょうね、やっぱ

人口の密度が高いからちょっと人間の

気分も多彩で極端にもなるも当たり前

でも開放するスペースがないというか


全体的に、よどんよどんしてる笑

東京ってなんか全部ガマンした状態で

迷惑かけないことが最低限のマナー

ステータス的なイメージになっててね

それがクールだみたいな、ふりしてる


都会に来て、都会に合わそうとして

暮らすほうがみんなスムーズにいく

だから何かを我慢で都会的、仕方ない

っていう考え方に染まっていく


そこで暮らす人のストレス、メンタル

結構、シンドイままで放置されてるなと

意見しても仕方ないで済ませた結果か


満員電車も当たり前になってしまうと

いろんな感情が麻痺してるのにも自分で

気づかなくなってしまっているんでね


これで毎日通って生きてるストレスって

相当だろうなってワタクスは当時感じた


これ文句つけなかった国民性かな?笑

惰性的に受け入れていくでしょ?


このアナの女性は北海道にいたらしいが

北海道って外から聴くと広大な大自然の

イメージもあるんでね、コレ実は大きい


おそらく札幌など主要都市になると

東京と変わらぬ人口密度や疲弊感が

そこはかとなく流れているのは同じ


でもあの地域は道全体として広大な

開けたイメージがあるし、広いという

視野がもたらす精神的な安定感って

大事なんだと思うんですよね


目を閉じて想像する、住む地域が

広い平野にあったり、そういう地域が

ある都道府県に暮らしていて知ってる

それでもいいんですよ、十分です


普段から同じ都道府県内の様々な

自然の美しさの光景なんかを

ニュース映像なんかでも観るはずで


少なからずこういういい景色に

見覚えがあるはずなんですよね


大自然に囲まれて自然の良いところ

マブタの裏に描きイメージすると

どうです?心なしか気持ち次第で

心が穏やかになる気がしません?


たぶん、そういうことが東京だと

感じられないんだと思うんですよ


狭く、低く詰めて、効率的で無機質

安堵を感じられなくさせられてしまう

大きなうねりに飲み込まれてしまう


どこにいっても人、人、人だらけ

そして時間に追われ、不快指数高め


何もかもが機械的、無感情なマチ

常に無視の他人の中での孤独、閉塞感

そういう中に押し込まれてしまう

ワタクスはそう感じましたね笑


そういう中で暮らすということは

何かを捨てて犠牲にして生きていく

そうなるとストレスで身体は無自覚でも

悲鳴を上げることになっていく


エチケットを気にして欠かせない

その代金を個人で負担するという

このご時世、地味に負担は大きい


なきゃないでいいものを勝手に

増やされて義務化されたような感覚


お金がそこまで回らない人もいる

そしてこんなこと気にしてもという

無常カンに苛まれることもある


そういったコスト面での逼迫や

ストレスがかかる環境、メンタル状態

そのすべてが東京を臭くしている


おそらくは必死でついていこうと

しつつ、他人に嫌われたくないから

無理してるって人がお互いそばにいて


でもお互い警戒しながら本心見せず

人間のような、人間でないような

他人感強めでもドライな都会生活


経済的にも精神的にも疲弊感や

逼迫感が強いなかで生きていると

ストレスでやられてしまいます


そしてみんなが高いストレスを抱え

他人の無作法が許しがたいほどに

感じてしまうようになってしまう


怒っている人に怒るとどうなる?

怒っている人は普段、怒らなくて

いいことであっても、つい怒ってしまう

そういう経験は誰しもあるはずで


田舎で育った人間は、あの中に

放り込まれると、ものすごシンドイ


そしてマブタの裏に田舎の風景や

イメージがすぐに浮かび癒やしたい


でも不快感や人ごみのストレスなど

そのギャップに苦しくなってしまう


苦しさを紛らわす風景がマブタの

裏に残っているうちは、まだいい


頼りにできるが、だんだん連絡も取れず

日々の行動に疲弊し、回復もできず

自分が育った心象風景も忘れていく


まるで田舎の親や友人みたいに

同じくらい一緒にいた大事な風景

そういうことなんだろうなと


知らないうちにストレスなんやかを

自然や広大な環境の中で癒やせていた

結果的にですけど、落ち着かせている


それを直に体験できない空間に住み

いつしかマブタの裏にも残っていない


生きるっていうことのストレスを

みんな甘く見ているんじゃないかな

特にあの喧騒の中で生きるストレスを


厳しいなかで頑張るやり抜く姿勢

まぁ実に美しく力強く、神々しい

かっこよく見せればかっこよく感じる

だが、それはただのエスカレート現象


冷静に戻ってみぃ笑、そんなことは

みんながカッコつけたいだけですよ


ラクなスタンスを取ってしまうことが

堕落してる、マジメでない、サボってる

ラクをすることが悪、常に一生懸命


相手に付け入る隙を与えるな、防御姿勢

こうやって人間を窮地に追い込んできた

スパルタ日本の成れの果て、みたいな


「器用な大人たちは薄笑いをきめる」

シングライクトーキングの曲で

「心のEvergreen」ってのがあってね


その歌詞の一部ですけども急にね

頭の中に浮かんできましたよ笑

一度、どこかで聴いてください

厳密には、そういう曲ではないが笑


自分の中の心象風景というか

自然の風景みたいなものが

知らず知らず癒やしになってて


現代人はそれをどんどん潰して

今頃になってまた必要なんだと

自然に泣きついている状態です


でも自然はもう怒ってますよ笑

怒り出したら止まらないのは知ってる?

知ってるよね、人間で経験済み

温暖化、水蒸気、自然の猛威は容赦なし


私たちは、いくら謝っても取り戻せない

おそらくいろいろとリセットされて

更地に戻すような感覚にならないと

私たちも気づかないんでしょうね


コレ東京の課題のひとつでしょう

人工的にニオイを取ったってダメで

そういうことでは消えないニオイ

誰も止めず向き合わなかったこと


そこに暮らす、通う人々に高い金を

かけさせ、高いストレスをかけさせ

人にもやさしくない、見せかけで


自然にも一番嫌いなやり方を突き詰める

いつか何らかのかたちで自然に

一発ドンと怒られるかもしれないね












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