面と向かわぬ目と口。


最近は、自分と周囲を遮断した空間を

どこにでもつくろうとしているなぁと

思うんですよね。


この周囲というのは、

現実の世界での距離感、

他人との距離での意味。


満員電車のなかでもどこでも

スマホで動画、ネット閲覧、

ゲーム、音楽、SNSなど。


人がそばにいるんだけど、

個人仕様に特化した空間に

どんどんはまり込んでいく。


誘導されるようにはめ込まれていく、

そっちの感覚のほうが正しいかも。


だから、面識がない人に対して

面と向かってうまく対処する方法なんかが、

身についていない人も目立ってきている。


み~んなスマホを見ていて、

声を発していなくてちょっと異様な。

文字では会話したりしてるけど。

文字で情報を得たり、発信したり。


声を発していないというのが

見ず知らずの他人との距離感や

接触感みたいなものを失わせている。


むかしの話ばっかりで申し訳ないが(笑)

スマホ以前は、そんなんじゃなかった。

もっといろんな人と目を合わせて

何気ない会話とかしていたんですよ。


ワタクシも他人に話しかけたりもする

そういうタイプだったんですけどね。

相手からも全然大丈夫だし、

話しかけるなオーラを出しているときでも

話しかけられたりするし(笑)


それでも最近は、コロナ禍の影響もあるけど

話しかけなくなってきてますね。

自分も他人も、双方向から話しかけられない。


可能不可能の意味と、されるされないの

両方の意味で、話しかけられない。

そういう時期でもあるんでしょうけど。


案外、この話しかけることで

ちょっと気分が良くなるときもある。

互いにね。でも変な遠慮の比重が増した。


「スマホ文化+コロナ禍」の合わせ技で

完全に孤立化している人も、

潜在的には多くいるのだろうと思う。


特に、お年寄りがなんともかわいそうで。

デジタル機器にも不得手だし、

これ以上何か新しいことに欲を見せないし。


本当は会話したい、何気なく言葉を

かわしたい、日常を返してと思いつつ、

コロナだから移したり、移されたりと

遠慮してしまう気持ちが上回る。


けっこう気持ちが沈んでいるのが

街中の年寄りたちの表情をみていても

伝わってきますね、残念ながら。


世代を問わずに

精神的にも孤立している人が、

ますます増えていくんだろうな。


そのスパイラルから逃れようとしない。

だんだん飲み込まれて抜け出せない。

やっぱり、なんかマズイ気がしますよね。


面という字のなかにも目があるでしょ。

くにがまえっぽい形の中に、目。

成り立ちはまた違うんでしょうけど。


目と口(クチ)だと見立てると

本来は、人と人が直接に会って

目を合わせて、会話してというのが

自然な、当たり前な行動だったんです。


スマホがそれを壊してしまい、

コロナがさらに追い打ちをかけた。


人間が孤立化の道を選んでそうでいて

逆に、選ばされているようでもあって、

なんだか複雑な心境になる。


だんだん、面という字のくにがまえの部分が、

スマホの形に見えてきた(哀)

くにがまえの形をしたスマホを介して

目で見て、話してばかりいる気がする。


面のくにがまえの上の部分、

T(ティー)みたいなものが

他人との壁みたいな

隔てる仕切りのようにみえる。


スマホの中に心のすべてをフタしている

そんな感じにも、みえなくもない。


たしかにスマホを介して、

目とクチを動かしているのが

当たり前になりすぎて

ちょっと怖くなってくる。

こんなんでホントにいいの?


個人個人にあまりにやさしくしすぎて

丁寧に快適な仕様にしすぎていない?

不快なものを排除しすぎていない?


なんか、間違っている気がします。

両方を経験しているオジサン世代の

ワタクシが感じるということは、

おそらく間違いないと思う(笑)


たぶん、人と人がもう一度ちゃんと

面と向かってつながらないと

この苦境は乗り越えられない気がする。


なんだか、私たちの社会も

私たち自身も間違ったやさしさを

追求しすぎている気がしますね。


たぶん、そのやさしさって

間違っていますよ、きっと。

いまの状況ではみんな

気づきづらいことだと思いますけど。


どうします?お客さん。

まだ、便利にしますか?


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