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鼻出しマスクde私見。


物議をかもした、鼻だしマスク。

ワタクシなりの鼻だしマスクへの

試験ならぬ、私見です。


マスク着用はだいぶ浸透した。

昨年の春先に比べたら、マスクを

している人間の割合は大幅に増えた。


これは時間はかかるとわかっていたけど

意識が変わって定着してきた成果です。


そこにさらにミスをあら探しする感覚で

みんなで97点取れるようになったのに

100点取れ、というようなもんです。

教育熱心な人がよくやる手法、発想ですね。


わかるよ。わかるけど、逆に違う。

私たちがいま生きている社会の環境は

100点を目指しすぎて

全体の負荷が大きくなりすぎる。


どこかで負荷を逃がす道をあえて

つくらないといけないと感じる。


100点をみんなに強要するために、

みんなが縮こまってしまって、

逆に平均点が下がる気がするんですよ。

なんとなくイメージ湧きませんか?


できる人の基準にすべて合わせろと

強要に近い感覚を見せつけてくる。


そちらの弊害が深刻化している。

そう、やりすぎの深刻化です。


リスクをどうしてもゼロに近づけたい。

完璧を、万全を期して、整えたい。

その心理とは裏腹に、出来ない相手に対して

必要以上に、大きなストレスを感じる。


ちゃんとやろう、ちゃんとやれ。

この圧力をどう処理していくか。

この手の問題に付きまとう課題です。


個人的にはマジメすぎてもダメだし、

不真面目すぎてもダメだと思うんです。


今回の鼻だしマスクの本人の、

パーソナルな部分はあえて無視して

考えてみてください。

そうじゃないと話が進まないから(笑)


あくまでも全体の大きな枠で、

国民全体をうまくやろうとする視点で

考えてみてください。


ちゃんとやろうとする圧力に対して

各個人がストレスを溜めないためには、

ソーシャルディスタンスと同様に、

圧力とも距離をとる必要もあるのでは?


一種の同調圧力だと仮定すると、

ヘタにまじめに従い、叱責を恐れ

真剣に悩みすぎると

余計に、気持ちが疲れてしまう。

不機嫌になり他人の行為を許せなくなる。


肩にチカラが入りすぎた状態で

バッターボックスに入るようなもの。

そんなんじゃ、打てないでしょ?


バッターボックスでの結果は、

その人だけに責任が、のしかかる。

圧力をかけていた人は、

気にも留めないんですから。


このとき、チカラを抜かなきゃ。

ちょっと許してあえて気持ちを緩める。


許す、ユーのルールをスルーする。

おやじギャグ、強引に降臨(笑)


でも、そのくらいをあえて

するくらいじゃないと全体が

ギッチギチのガッチガチになる。

この弊害を生むだけなんですよ。


さらに誤解を恐れずに言えば、

マジメな人ほどこの同調圧力が強くなる。


ネットにあふれる批判的な声の多くは

ワタクシはものすごいエリート意識の

高いマジメな人たちだと推測してます。


彼らが逆に足を引っ張るカタチになって

全体を停滞させてしまいがちなんです。


この現代に漂うどうしようもない

閉塞感の正体がコレではないかと。


この同調圧力の強さは、

目の前をキレイに掃除しておきたい。

他のところにホコリが溜まろうが、

そんなこと知ったこっちゃない

という感覚に近い。


この感覚ってね、

感染症がいまこういう状況だから

という問題でもない。


コロナで触発されているのも大きいが

ワクチンが全体に行き渡ったら

この争いは終わるのかといったら

そうでもない気がする。


もっと根が深いもので、

そこを認めて深入りしすぎると

全体が崩壊するような

危険性をはらんでいるとも思う。



おそらく一定数の人は、

呼吸が苦しい思いをずっと強いられ

なんらかの体の機能低下を

起こしてるはずです。


マスク慣れしていない人

健康状態の悪いまま過ごす人

みんなが同じ状況じゃないのに

必要以上のステップを要求する。


たぶん、そこに行っちゃうと

全体のバランスを崩す予感が強くある。


呼吸が苦しいと感じると

かなり気になる。

気が散って集中できなくなることもある。

意識すればするほど、過呼吸気味になる。


おそらく今年の試験会場ではこういう

トラブルとどう折り合いをつけるか。

その場その場で臨機応変に対応できるかが、

ポイントになってくるでしょうね。


よく考えると過剰に反応してしまう

思考回路の中にポーンと放り込まれて

そこしか見えない人もいる状態。


他人が気になる状態に常にいる

というだけでもストレスになる。

ストレスを排除しようとしてしまうが

全部の排除は不可能だ。


今回の件で、ただでさえ緊張する状況で

鼻でクリアに呼吸して落ち着くことは、

緊張状態の自分を想像してみると

かなり重要なしぐさ、行為になる。


時間内で自分が集中した状態で

学習してきたことを出し切る。

これがどれだけできるかの勝負と

言っても過言ではないくらいです。


アクシデントは極力なくしたい。

周囲に何か試験官がいるだけでも

集中がそがれるという人もいるだろう。

ワタクシも大学入試を含めて、資格試験も

何度か受けてきた。


いろいろとありましたよ、特に資格試験。

中年以降の世代が多いと体力がもたない。

だからダレてくるし、横柄になるし。

それもまぁ、いい思い出です(笑)


自分の邪魔をする存在や行動に対して、

普段以上にナーバスになってしまいます。

その時点で集中が途切れてしまう。


読んでいる文章がただ、読んでいるだけで

アタマに内容がフィットしてこないような

何度か読まないと意味がわからないとか、

ケアレスミスにつながるとかね。


いろいろとアクシデントも

試験には付き物だとしても、

試験中はほとんど、飛沫しない。

黙って試験を受けるケースが多い。


呼吸のそのわずかな飛沫でさえ、

閉じ込めなきゃならないですか?


飛沫でのウイルスを閉じ込めたいのか、

私たち人間を閉じ込めたいのか。

よくわからなくなっているような気が

してならないと感じてしまいますね。








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