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大谷の結果は朝ごはん感覚
大谷が46号ホームランで46−46
なんでしょうね、我々が情報として
受け取る側には、朝ごはんの感覚
50−50という指標を
わかりやすくし追いかけやすく
注目をさせようと促すのは
メディアの旧来式というか
やりそうなことだよなぁと苦笑い
そして毎朝ごはんを無意識に食べて
味わう時間もなく喜びもなんだか
当たり前化して薄くなって
作業的な感覚に陥ることになる
我々日本人はたまにこういう感覚を
気持ちいいと感じてしまう国民性が笑
大谷をツールとして日常化してる
そして以前と比較したら自分の手元に
情報端末が常にあり、情報と同化する
そういう無意識の取り込まれ方をしてる
日本のメディアは日本人のために
書く読ませるそういうところなので
大衆が喜ぶための記事や報道をつくる
大谷自身がどう考えていたとしても
大谷の意見より数字が達成されていく
喜びを自分のことのように楽しむために
大谷の数字を追いかけていれば満足
そこに応えるネタを提供すればOKと
ドジャース自体の強さには興味なし笑
プレイオフからが勝負と考えてる大谷
一試合一試合、一打席一打席に集中する
勝つために、最大限の努力を惜しまず
そして楽しみながらプレーする大谷
もっとこう、このチームがケガ人や
不調で必ずしもうまく回っていない
のにも関わらず接戦をモノにして
勝ち星を積み重ねる強いチームに
大谷はいるんだよ、という試合や
チームの強さ伝えてほしいなと
大谷個人や犬よりも鋭い視点は無い
二刀流と言いたくて(今年はないが)
デコピンと言いたい、可愛いで埋める
不思議と日本人は自分流にアレンジして
その後、断固として変えないというか笑
なんかそういうクセありますよね
プレーオフで勝ち抜くほうが
シーズンで数字を残すよりも
重要視してるように感じます
そのへんよりもとにかく大谷の
50―50の数字にのみ注目を
させていこうという意図が強い
だから50−50を達成しても
プレーオフが全然ダメなら叩かれる
って考えはないだろう日本では
チームはその先のワールドシリーズ
そこで勝ってチャンピオンになる
そのためなら大差がつけば休ませ
ノーヒットノーラン状態であっても
目先より優先すべきプレーオフで
いかにして勝ち上がるかを考え
そのための優先順位をつけていく
もちろん大谷の数字自体をMLBも
当然追いかけているけれどもね
同時にプレーオフからの戦いを
常に意識して選手たちとそこは一緒
でも、日本人はどこか大谷が
数字を出せばあとは自分たちの
興味はないくらいの勢いで伝える
それを大衆も当たり前に受け取り
疑問にさえ思わなくなってしまう
大谷自身は常々先を見ているが
それはチームの勝利であり世界一で
しかし日本のメディアは大谷の
個人の情報で注目を煽ろうとする
やはり他国のスポーツであり出来事
そんなにチーム視点は重要でない
って事も受け入れなければ?なのか
大谷スゴイはスゴイんだけど
当の大谷は違うところ見ていて
一般のファンとは噛み合わない現実
なんだかね、すぐ喜びたい
目の前を何より楽しみたい欲求
目先の1本、目先の結果のみに
注目をさせ大衆もそれを疑いなく
受け止めて他の視点を受け入れない
そんな感じしてしまいますね笑
全体を見てその目標のための
過程にいて逆算して大目標のために
我慢するとか、捨てゲームにするとか
なかなか持てない国民性なんだろうな