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切り取らないイメージが大切だ。


流れを見る、という瞬間がある。

自分が流れの中にいて、その状況を

俯瞰で見るようなイメージで、

これまでの経緯を踏まえたうえで、

次の次の展開も想像しながら。


ボヤ~っとでも、

これまでこうだったから、

こうなったら、こうなる

こうならなかったら、こうなる。

みたいなね。

言葉にすると難しいな(笑)


コロナ禍においていまの私たちに

必要なのが、この俯瞰のイメージです。


連続写真をつなげて見てないんです。

連写で撮ったもので一番イイのだけを

選んで、切り取って「これでどうだ」

ってしてる世の中ですよね。


その延長や似た感覚でなんとなく、

コレが一番イイと決定する。

コレだという一点に注目して

すべて判断してしまうときがある。


局面が切り取られすぎると、

この一点のみの判断で正誤をつけろと

私たちは迫られているようにも

感じてしまう。


もうここまで仕上がっているから、

あとは変えようがないので、

ここだけで判断して大丈夫、OKだと。


事実、そうしてキリトリ判断した

結果を、さも総意のように発信する。


でも実は、違うでしょう?

切り取る局面にも前後があって、

その前後をつないで全体を俯瞰する。


するとキリトリ判断が正しくないことが

イメージできたりもするんですよね。


必ずしも正解が出るとは限らないけど

キリトリ判断が正解、として進めていく。


しかし、振り返ってみて

正解でなかったとき

あるいはそのときと

状況が変わってきたときに、

キリトリ判断を撤回しようと

しない社会なんです。


法律等で決めてしまったから、

もう簡単には動かせないんだ

というバイアスがかかって

コロナ禍前の基準を動かさない。


コロナ禍前の法律は、コロナ禍を

想定していない法律なんですよ。


あらゆる基準が前の基準のままだったり

その前の基準を壊さないような

やり方をしようとしてしまうんです。


この辺のニュアンスは、

ちょっと伝わりづらいかな。


動かさないというバイアスは

前例踏襲、リスク回避、消極姿勢を

生んでしまうことになる。


せっかく意思決定を手順を踏んで

みんなの理解を得て決めたこと

だから簡単に覆せないんだと。


しかしこれまでの流れなど、

無慈悲にぶった切るのが

自然災害やコロナ禍。


これらは急に訪れて

急に流れをぶった切る。


そう、いまの私たちは

流れを断ち切られてしまった

のにもかかわらず

これまでの流れのまま

進もうとしてる。


この状態をも俯瞰で

見られていない状況。


チャレンジすれば打開できる、

「かもしれない」ことにも

挑戦しなくなるんです。


どこかでこれ以上の不安や負担を

増やしたくないという

現状維持の意識が

上回ってしまう私たちの社会。


自分では決断したくなくて、

誰かに決めてもらいたがってしまう。

自信がないというか、リスクが怖い。


いままでの状態を維持したまま

変えると面倒が増えるからと、

変えようとしない法律が多いでしょ?


消費税だって単純に下げていい。

全部を100点で整えてからでないと

何もできないと思い込んでしまう。


人って、やってみたら

案外できるんです。

ええ、ホントに。


切り取った局面をもう一度、

つないで前後をイメージしながら

想像してみると・・・


このままの状態ではいけないなと

わかることが、たくさん出てくる。


いっぱいありすぎるから

逆に混乱してしまうと言って、

その案件を避けてきたのが

現代の日本人なんです。


コロナ禍があったから、

変えるんですよ。

自然災害があったから、

基準を変えるんですよ。


これまでの意思決定の過程の

尊重は要らない局面なんです。


前後、現状や未来をイメージして

変えるべきだと考えられることは

素直に変えていいのではないか?


余計な手間が増えるという反論は

聴くほうが恥ずかしくなるくらい、

理由にならない。


そのぶん、それまでの手間を減らす。

それで困らないことはたくさんあるのに

手順を愚直に守ることで

自分たちが基準を守っているという

安心を得ているだけ。

そんな状況じゃないでしょ?


人って、やってみたら

案外できるんです。

もう一回、言いましょうか?


政治家も役人も、公僕の方も

私たち一般の庶民もみんな。


人って、やってみたら

案外できるんですから。









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