たらこパスタは待ってくれない。
いつしか世の中は自分に対して
いいことを言ってくれることばかり
求め探している日常になった。
ネットの普及と無関係ではない。
ずいぶんと身勝手になったなと。
どのタイミングで自分が
完璧になったんだと。
そう言う年輩者もいるだろう。
若輩者や経験不足の人が
利己的に映る側面もあるが
それだけではない部分もある。
うまく乗れた時代と
うまく乗れなかった時代がある。
全体がうまくいかないときに
このまま従って待っていても
ダメなときがある。まさに今。
みんなそれをわかっている状況。
こうまでなっても自分からでは
動けない人、動かせない人って
大勢いるはずだ。
ほんのちょっとでいい。
明るい兆し、雰囲気が欲しい。
雰囲気づくりに無頓着な政治家。
一旦止められてうまく行かなくなり
以前の勢いの取り戻し方がぎこちない。
以前と同じでないものを
あえてつくる良い機会なんだが
求める側、待ってる側も
既存の延長のホドコシを求める。
ずっと日本は言われたことに従い
その枠の中で争う構図を
継承してきたのだから無理もない。
決断実行が遅いことを正当化して
私たちはちゃんとやってきたと
総括している政治家はその役割上
もうそれで精一杯だろう。
だから思う。もうこっちにバトンを
渡せ、早くと。こっちは走れるのに
周囲にお辞儀して手を振って
笑顔で走ってくるのを待ってられぬ。
私たち全体は決して
やる気がないわけではない。
やる気が削がれてしまう雰囲気を
つくることしかできない為政者と
その流れの遅さに不満がある。
その中で不満やイライラを逃したい
なんとなくモヤモヤしたイライラを
どこかで解消したくなる心理。
ネット民と愚弄されてもだ。
その原因は硬直化した社会で
四肢を伸ばして最大出力で
立ち回れないしくみの歯がゆさ。
だったらもう、いいや。
自分の好きなことに没頭して
好きなことを求めて感じていないと
もうやってられないよと。
じゃなきゃバランス取れない
って社会であるのは間違いない。
いくら堺雅人の声でキレイゴトを
言わせたとしてもサムライはMAXな
気持ちにならないんです。
間口が狭い社会では実現不可能
そんな当たり前のことわかってる。
いちいちCMで垂れ流すなよと。
改めて言うなら、あえて言うなら
実現できる雰囲気をつくらないと
意味がない。
キレイゴトを良い風に言ってるだけ。
だけで終わらせて、何十年過ぎてる。
この手の問題は入り組んでいて
優秀な奴が議論してまとめてから
取り組むとなると、これまでと
同じく変わらなくなってしまう。
毎回同じ問題でつまずいて転ぶ
間違えてる理由に気づけずに
おかしいな。あってるはずなんだが。
ってまた同じ失敗を繰り返す。
議論を積めた分だけなぜか最小限に
とどめていく効率化を図るけど
効果は薄くなり、効くには効くが
効果する箇所を選び、そこだけを救う。
全体的な効果は薄くなってしまい
全体のモチベーションも経過時間だけ
当初ほど意欲的でなくなってしまう。
ほら、用意してあげたのに、という。
ひとまとめにして、渡すからでしょ?
だから逆にダメなことに気づけない。
違う。その時点、鉄は熱いうちにが
できない日本の実情に辟易してる。
もっと早く動いてくれ。
動かしたくなる雰囲気をつくれ。
動かせないなら私たちに任せ
失敗しながら進もうではないか。
全体のチカラをもっと活かせ。
ピークは不満をみんなで共有して
そうだそうだ、ってなってこうしたい
すぐ、自分の範囲内でこうしようって
実行できたときなんでしょう。
いまはそうだそうだと共感して共有する。
だがその思いは発表会で発表されただけ。
あとは誰かが動かしてくれるまで
何も出来ずに待たされ、トーンダウン。
何十年とこの繰り返しばかりだ。
その実行が成功か失敗かは別として
全体の意欲のピークはそこになる。
ウダウダとしてるとピークがすぎ
もう遅い、意気消沈ってなる。
まとめてから対処しようとすると
意外と効果は薄くなってしまうから。
官と民の求めるスピードと意識に
差があることを避けられず諦める。
できたてのたらこパスタは
できたてが、一番うまい。
青じそや海苔が乗っているなら
香るうちに食べるのが
一番うまいのだから。
マナーも配膳もヘッタクレもない。
全部の準備をしてみんなが揃うのを
待っていると、一番うまいときを逃す。
いまやサービスも何もかもすべて
用意してもらうしくみが成熟して
そのパターン踏襲が当たり前に。
待ってたら遅いが、そういう状況には
イチベツをくれて見てないふりをする。
官は失敗できないから慎重に進める。
民はすぐにでも動かしていかないと
どんどん待たされて、意欲を失う。
これが真実であるならば
そこにメスを入れて修正する人は
なぜ出てこないのだろうか。
出てこないというよりは
出てこれないしくみに吸収されて
うまく動けないだけで。
実は、存在してるのだと思う。
それも決して少数ではないだろう。
キッカケひとつでケチャップドバドバ。
慎重に失敗せずリスクを避けて
うまくやろうとすることが逆に
全体の意欲を削いで停滞を招く。
まだやりようがある。存在する。
そして私たちもまだ、存在する。
人がまだ意欲的なうちに
人がまだ大勢いるうちに
やるべきリスクチャレンジが
あるはずではないか。
選ばれる人だけのものではない。
そのチャレンジをできないしくみを
あえて変えないと、変わらない。
たらこパスタは待ってくれない。
スパゲッティだよ?って訂正も
いちいち必要ない。
そういう雰囲気を変える行動を
官民が共有して全体を動かさないと
この国はしくみに埋もれるだけだ。