立ち戻る
吉本ばななさんの著書は、『キッチン』や河合隼雄氏との対談など数冊読んでいた。幼少期に挨拶ができず近所のおばあさんから嫌われるくらいだった私が、人からものを手渡してもらった時にちゃんと「ありがとう」と言おうと思えたのは、間違いなく『キッチン』のおかげである。そのみずみずしく深い、森の奥にひっそりと佇む湖のような世界は間違いなく私を癒し、慰めた。
しかし同時に、その魂の奥深くに浸透する神秘の水のような力は、私を恐れさせもした。ずっとそこに浸っていてはいけない、というような。スピリチュアルと言ってしまえばそれまでだが、放っておいたらそういう“目には見えない夜空の星”のような世界にすぐ漂いたくなる私は、「もっと社会的にタフでなくてはいけないのでは?」と思い、もう少しリアルな世界のものを読んでいた。と言っても主に村上春樹氏の著作なのだが。それはまた別に、私に核や殻のようなものを作ってくれた。
そして時を経て、ここ最近noteで久しぶりにばななさんの文章に触れるようになり、著作をまた読みたくなった。
イヤシノウタ (新潮文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4101359458/ref=cm_sw_r_cp_api_glt_i_P5DW8Q7WW6HHQA7X4DTW
短文集なのだが、ちょうどばななさんの作品に触れていない間に起きた諸々で傷ついた私を、文字通り癒してくれた。身を焦がすような思いをしていた恋は、本当に同時にいつも終わりを思っていたなとか、恨み(呪い)ってほんとあるんだよなぁとか、一時夫だった人との生活は、結局折々に現れるウソのにおいに耐えられなかったんだなぁとか。それらは口にするには重すぎて、親はもちろん親しい友人たちにも言えなかった事柄だった。それは体の節々に時間をかけて巣食い、数年もののシコリとなっていた。それをスッとほどいて流してもらったような感覚だった。
生きるのはしんどい。でも身の丈がわかっていれば少しマシにはできるし、体の声に耳を傾けていれば、大きな致命的な間違いをすることはない。流れに逆らうことはできなくても、流れ着きたい方向へ行くことはできる。そういうことなのかなと思う。