#5 “わたし“がどこにいるのかを、いつもこの本は教えてくれる
オシダナ(推し棚)は、小布施町民の方々、テラソ利用者の方々の推しの本たちをご紹介していくコーナーです。不定期更新。
本日お話を聞きしたのは、生粋の長野県人で、大学卒業後に海外に拠点を移したのち、小布施のまちづくりに関わりたいと、昨年から小布施で地域おこし協力隊・教育担当として活躍されている遠山さんです。遠山さんにとっての印象深い1冊とは?
遠山:もうこれしか思い浮かびません。鷲田清一先生の「じぶん・この不思議な存在」
志賀:大阪大の総長もされた哲学者の方じゃないですか!哲学にご興味がおありなんですか?
遠山:いや、僕はそんなに本を読むわけでもないし、哲学を勉強してきたわけでも特別好きなわけでもないですけど、この本は何故だか唯一定期的に読み返したくなる本なんです。
志賀:興味深い…どんなパターンがあるんです?
遠山:基本的に、やはり「自分ってなんなんだろう、これからどうしていけばいいんだろう」と進路やアイデンティティについて揺らぎを感じた時に手に取ることが多い気がします。面白い子ことに分かりやすいくらい3年周期でまわってきていて。実は先日もふと読み直そうと思うタイミングが来たのですが、これで4回目くらいですね(笑)
志賀:素敵!3年周期で新陳代謝が進んでるんですね(笑)今で4回目ってことは…出会いは高校?
遠山:まさに!高校の現代文の教科書です。その時は、難しくてよくわからなかったんですけど、妙に心に引っかかりました。大学に入り、自由度や裁量が広がり、様々な学生団体やプロジェクトに関わる中で、僕は後輩たちに「進路について考える」きっかけづくりをしたりするようになりました。そんな時、「人にいろいろ言ってるけど自分は?自分はいったい何してきたんだろう、何していくんだろう」とモヤモヤし始めて、その時に思い出したのがこの本です。あとにも先にも、教科書引っ張り出して出典を調べて購入したのはこの本だけ(笑)
志賀:自分の中に迷いが生まれた時の指針のようになってくれる本なんですね。
遠山:そうなんです。次に手に取ったのは大学卒業後に青年海外協力隊としてガーナに行く頃でした。その時も自分を振り返る時間が必要だったんでしょうね。そして、また最近、人と向き合う時間や大切さを日常生活や職場からも身にしみて感じるようになり、改めて「自分ってなんなんだろう」と思っているんだと思います。
志賀:そんな今、響くシーンはあったりしますか?
遠山:
「私が私自身であるためには、他者の存在が必要である。他者の中に私がいる」
というような文があるのですが、それが最近は一番グッときましたね。教育という立場上、ついつい「してあげる」とか「助ける・支援する」ような立ち位置になることが多いのですが、そういった考え方そのものもですし、してあげたいと思わせてくれる対象である子どもたちこそが
「私という存在のもろさを覆うために、存在してくれている存在だ」
というような考えが書かれているんです。そうだなあとすごく思って。僕は子どもたちを助けているというよりも助けられたり、学ばせてもらったりしている方が多いんです、ほんとに。
志賀:なんだかお話を聞いていると、真摯に人と向き合うことは、同時に真摯に自分と向き合うことと同義なような気がしてきました。
素敵なお話をありがとうございます。次、また3年後に読むとき、どこが響くのか…楽しみですね!
遠山:ですね!