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友だちのうちはどこ? (映画 1987)

つまらないけど余韻に浸れる一本

アッバス・キアロスタミ監督の名作だというからめっちゃ期待して見たが、私にはどこが良いのか全く解らなかった。
むしろ途中で眠くなり「いつまで続くねん、で友達の家は何処やねん。結局何やねん?」と思いながら最後まで見てしまった。

この違和感の理由を考察してみると
①学校に女子がいない
②出てくるのは爺さんと子どもがメイン
③何となく皆貧乏で活気がない
④爺さんも先生も威圧的
⑤主人公はヤングケアラーなのか?
てな感じで、一言でいうと「現代的ではない」って事か。

映画は異文化を知る手段の一つだと、私は常々思っている。その観点では、この映画は見る値があったとは思う。
しかしながらお金を払ってまで見たいとは思わない。今回たまたま衛星放送で無料だったから見たまでである。

とか言いながら

判定するなら「星一つ」なのだが、無だったとはいわないでおこう。
なぜなら主人公の少年に中途半端に同伴した老人のセリフには、考えさせられるものがあったから。
自分が作った木製のドアを懐かしむ心境や、昨今それに置き換わっている鉄のドアについて、老人は語る。

「鉄のドアは一生壊れんからだそうだ。一生って、それほど長いものなのかね」
「なぜ皆町へ行きたがるんだろうな?人間が故郷と呼べる所じゃないと思うよ」
「わしが苦労して造ったドアが、町に持っていかれてしまって、本当に悲しいよ。ワシのドアがな。一体どこに持っていってしまったやら」

「この前町に行った時にワシのドアを探してみたが、見つからなかった。まるで甥がいなくなったみたいに寂しかった。もうあんなドアは作れんよ。目も弱くなったし、力もなくなってしまった」

これからの未来ある8歳の少年と、老いさらばえた爺さんとの会話は、悲しいほど対照的だった。
先を急ぐ少年と、顔を洗う老人。そこで小さな花を少年に渡してノートに挟むよう告げる老人の姿。これがラストシーンに繋がるのだが、ここのくだりだけが印象に残った。
もしやそこが名作の所以なのか、ならば見る価値があったと結んでおきたい。

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