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生きろ 島田叡 ー 戦中最後の沖縄県知事 (映画 2021)

島田叡さんは県立兵庫高校の先輩である。
1994年に新校舎が完成する前は、校庭のバックネット裏に「合掌の碑」があった。
当時そこは小高い丘のようになっていて、野球部員がその辺りを走っていたのを覚えている。しかしながら私は、在校時にその碑をちゃんと見た事もなければ、手を合わせた事もない。
学校案内に島田さんの名前を見た事はあるが、どのような方か知ろうともしなかったのだ。

そんな、後輩と名乗るのも恥ずかしい私が島田さんの生涯をちゃんと知ったのは卒業して四半世紀もの後だった。
2013年に放映された『報道ドラマ 生きろ 〜戦場に残した伝言〜』(TBS)で、緒方直人さんが島田叡さんを演じていた。

こんなすごい方だったなんて、在学中に知らなかった自分を悔やんだ。
読書好きで図書館に入りびたり、坂本龍馬や土方歳三など幕末の人物に夢中だった私。もっと身近にいた、志の高い大人物を素通りしていたのだ。

母校を懐かしむ気持ちと自責の念が相まって、それから私は島田叡さんに関する記事を見つけると、隈なく読むようになった。

今回「生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事」の映画を見に行ったのも、後輩としての使命感と「自分に何ができるのか」を考えたいと強く思ったからである。

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何故、島田叡さんの事がさほど知られていないのだろうか。こんな俗な言い方はしたくないが、知名度が低いのは何故だろう?

最初に浮かんだのは、「御家族への配慮」という理由だった。
沖縄に知事として赴く事に、奥様も娘さん方も強く反対されていたという。
「娘さんに至っては役所まで直訴した」というくだりが、本作にもあった。
死ぬ事がわかっていながら火中の栗を拾いに行った島田さんの事を、世の中の人は「官吏の鑑」だと讃えている。
しかし家族にしてみれば、立派でなくても良いから普通の夫・父として共に生きていたかったと思って当然だろう。
本作の中に島田さんのご家族写真は出てくるが、それ以外証言などの取材資料は見当たらない。
家族としては、島田さんのことが英雄視して取り上げられるのが、辛かったのかもしれない。

次に浮かんだ理由は「沖縄戦を正当化するため」である。
本土守備のための捨て石とされた沖縄戦において陸軍に抗議し、自決せずに「生きろ」と説いた島田さん。
彼の存在を広く報せる事は、「当時の軍部の無能さを明らかにする事」につながると考えたのではないだろうか。

まだまだ書き足りないので、続きは後日に改めたい。

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