【三重】自分で見つけた自分の教え in 伊勢神宮
◾︎はじめに
皆さんこんにちは。おぼろ豆腐です。
私は毎年1年の感謝を込めて、地元では「お伊勢さん」と親しく呼ばれている「伊勢神宮」にお参りに行きました。
今回は、伊勢神宮という神聖な空間で感じたことと主題に示したように自分の今までの経験から気づいた教えについて語りたいなと思います。
◾︎伊勢神宮に到着
快速みえに乗って伊勢市に到着しました。
伊勢神宮には、2つの神宮があり、私たち国民の大御祖神として崇敬を集める天照大御神をお祀りする「内宮」、衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神をお祀りする「外宮」があります。
全国約8万社の神社の中で、最大の聖域であり、格別のお宮として全国各地から参拝者が伊勢の地に集まります。
伊勢神宮の見所を挙げるとすると、神聖の空気に身も心も洗われる「神宮の森」、日本古来の建築様式を用いた「神殿」、日常の世界と神域を結ぶ純日本風反り橋「宇治橋」などがあります。
では、早速全国の神社の本宗として崇敬を受ける「内宮」の内側を見てみましょう。
◾︎心鎮まる神聖な領域「内宮」を紹介
内宮の入り口、五十鈴川に架かる「宇治橋」を渡るとそこは心鎮まる神聖な領域。大きな鳥居をくぐり、宮内に入る心構えで一礼。
神気漂う神宮の豊かな自然に見守られながら、五十鈴川の清らかな流れに手と心を洗う。
大御神の森とも言われる神宮の森を進むと、凛としたひんやりとした空気がじわじわと身に触れ、目の前に広がる豊かな自然、木々の薫り、鳥たちのさえずり、参道の玉砂利を踏みしめる音といった五感が研ぎ澄まされる感じがした。
次第に辺りが霧がかり、より神々に近づいた感じがする。いよいよ日本人の大御祖神である天照大御神を祀る「皇大神宮」が見える。
「皇大神宮」の鳥居をくぐる前に、ゆっくりと深呼吸をして目を瞑り、自分の魂と対峙する準備をする。
◾︎日々の感謝と自分の教えに基づいた誓いを…
そして目を開け御正殿を前で、この豊かな生命を作り上げ、人々の営みを見守ってくださる神々に日々の感謝を申し上げた。
神と対峙している僅かな時間で、感謝とともに自分の誓いを交わすことができた。
それは、自分の居場所が見つからない人や自分の価値に悩んでる人がいたら寄り添いたい。さらにできるのであれば、その人々を勇気づけるような行動をしたいという誓いだった。
◾︎私の過去から気づいた自分の教え…
私はみんなが羨ましかった。何もかもが。
みんなは何かを目指して、何かを求めて、何かに充実して羨ましかった。
対して自分はというと、空っぽの抜け殻のよう。
何かを求めたい感情もなく、何かをしなければならないと思いつつも、そこにしがみつけず、ただ地面に足掻くだけ。
このような生活が約3年続いた。みんなともどんどん離れていき、自分で居場所をなくしていき、居場所の作り方がわからなかった。
孤独感で不安が募り、余計に焦る。けれども足掻くだけ。這い上がることができず、辛かったし寂しかった。
今の自分はまだその世界から脱出しているわけではないが、最近は明るい光が見えてる気がする。
世の中を見ると自分よりも苦しんでる人、辛い人がいるはず。度合は違うものの同じ経験をしている人に私は寄り添いたいと思えるようになってきた。
そして、守ってあげる居場所を創りたい。それが今の夢かもしれない。神々がこの世の営みを創り上げるように、私も守りたい人を創りたい。
◾︎おわりに
今回の記事はいかがでしたでしょうか。少し日常から離れることによって、自分の感情を俯瞰的に見ることができた気がしました。そして、神々を前に色々と込み上げてくる感情がありました。
私には好きな歌があります。YOASOBIさんの「ツバメ」という歌です。
この歌は、人それぞれ生きる道や暮らしの形は違うけれども、共に生きているから肩を寄せ合いながら繋がろう。そして、何気ない日常がささやかな愛で溢れたなら何かが変わるというような歌です。
まさに私が目指したい世の中でもありますし、これこそが幸せにつながるのではと感じました。
少し話が脱線しましたが、伊勢神宮には行ってみないと感じられないパワーみたいなのがいただける場所だなと思いました。自分というベールを剥がして魂という核となる姿になれる気がしました。
お伊勢参りの後は、おかげ横丁で食べ歩きやお土産を探すのをオススメします。太くて柔らかい麺を出汁と伊勢たまり醤油を合わせたタレで食べる「伊勢うどん」は、絶品です。
おぼろ豆腐