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「月に吠えらんねえ」にずっと居たい
5月11日は、近代詩の父、萩原朔太郎の命日です。
僕の大学学部時代の卒業論文が、近代文学における遺書で、大学院の修士論文が芥川龍之介の晩年の作品についてでした。
担当してくださった教授は、近代詩の研究がメインでした。
死へと向かう芥川の作品と向き合いながら、時々、教授の手伝いと言っては偉そうですが、同時代の詩を読んでいきながら、萩原朔太郎、中原中也を始めとする近代詩のスーパースターたちとここで出会ったのですが、彼らの作品よりは、彼らの残していった手紙や彼らが死んだ後に仲間たちが読んだ追悼文なんかに凄く興味を持って調べたものです。
それから時は経ち、2014年。
「月に吠えらんねえ」の1巻が発売されます。
僕は文学の研究から離れ、教育業界に身を置いていました。
年に一度訪れる「文学史」の単元が一番好きで、夏目漱石や二葉亭四迷、芥川と太宰、川端と三島、それぞれの関係性を軸にしながら、近代文学への興味を若者たちに持ってもらいたいな、と喋っていました。40人居るクラスの中に毎年、一人は文学に興味を持ってくれる生徒が出てくるのが嬉しかったです(ちなみに、今はエンターテイメント業界にいます)。
文学者を主人公にした漫画は、10年代でも「澄江堂主人」や「えへん、龍之介」といった名作が沢山ありました。
しかし、この「月に吠えらんねえ」の凄さは、まず、近代詩自体へのアプローチの凄さ。そして、僕らが気づかずに通り過ぎてしまったものを思い出させたり、新たに発見させてくれたりするものでした。
1巻、2巻、3巻と、参考文献に登場する論文や書籍の多様性に、この人は本気で近代詩と向き合って作品にしている。しかも、ちゃんと面白さも付いてきている、とワクワクしながら新刊の発売を楽しみにしていました。
□街という特殊な世界だけでなく、石川くんを現代に行かせる話が好きでしてね。
歴史上の人物を作品と切り離し、キャラクターとして消費する話とかは、この作品を冷静な目で批評しながら、「他人が作った檻」に自分を当てはめる人々への言葉は2020年の現代の僕らにもあてはまると思います。
とても1周しただけでは、その巻で使われている詩や登場人物の発言のすべてを認識できているか、分からないぐらいの膨大な情報。でも、何回も読んでも苦にならない世界がそこにはありました。
6巻ぐらいから芥川龍之介が登場するところは、個人的に凄くわくわくしましてね。しかも、この「龍くん」は、死にたくてしかたない時の「龍くん」なんですよね。
メインストーリーも進んで行き、徐々に、この国において「詩」が一番大事にされてきた時代が明らかになってくる時の悲しさ。切り捨てられた「詩」たちの悲しさ。山中さわおの歌にある「今はもう誰も 聴かないメロディたちが さまよう暗闇で 僕は眠りたいんだ」という歌詞を思い出しました。
ちなみに僕は、「三好くん」が大好きです。
「朔くん」を兄さんと呼び、お世話をするかいがいしさも良いんですが、詩人としての「朔くん」への思い。そして、本来いるはずだったアキさんの幻。
最後に、11巻で「朔くん」がどうやって□街に戻るか。どうやって、「白さん」は折り合いをつけるか。「龍くん」はどんな選択をするか。
最終話と最終話の1話前は、美しい言葉の連なりとストーリーの素晴らしさに初読時は何回か手を止めて、涙を拭いていました。
僕はこの作品を読むたびに、□街にいる人々が羨ましくなります。
他の人からみたらモラトリアムだったり、ユートピアに見えるかもしれません。でも、こんなに言葉を大事にしている人たちが居て、文学を生きている時代の人達の場所があるんなら、一度行ってみたい。
きっと変わり者の人も多いかもしれませんが、彼らの言葉や韻文が生まれる世界が見たくて、今日も「月に吠えらんねえ」のページをめくるでしょう。
※もし、映像化するなら、アニメではなくて、大河ドラマのように50話ぐらいでじっくりと描いて欲しいな、と思っています。「朔くん」は女性キャスト希望です。蛇足でしたら、申し訳ございません。
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