noteに願いを。私たちの“書く力”を信じて。
“書く力”はすごい。
頭の中で考えているのと書いてしまうのでは雲泥の差。
書いて残すことは後ろに引き返せないパワーを感じる。
だから、願い事や目標はなるべく書く。
来年の願いや目標はnoteにも書いてみようかと思っている。現在鋭意作成中。
同じような願いを持った人がいれば応援できるかもしれないし、励ますことができるかもしれない。
やりたいこと、ほしいもの、達成したい目標など思い描いたままに書くと元気が出てくる。
それに不思議と達成率も上がるように思う。
なので毎年、やりたい事を大小関係なくごちゃ混ぜに書き出したもの=ウィッシュリストを作成して自分を奮い立たせている。
たとえば今年のリスト一部はこんな感じ。
○パンを焼く→達成。実は昨年から持ち越されていた項目。自粛生活の中で料理する機会がぐっと増えたので叶った。
好きなことだけ書き出したリストは、見ているだけで自分の気持ちをぎゅっと抱きしめたくなるくらいときめきとワクワクが止まらない。
子どもの頃、セボンスターのアクセサリーやプレゼントの包装に使われていた可愛いリボン、親の気まぐれで買ってもらったおもちゃのティアラなどを詰めた箱を時折見返した時と同じ。
どれも大好き。見ているだけで幸せ。私だけの宝物。
ルーチンの日々を生きているとやりたいなと思うことはたくさんあるのに、やるべきことにどんどん押し流されていってしまう。
やるべきことだったらまだ良いが、やらなくてもいいことに時間をかけたりしてしまう。
スマホを見たり、スマホを見たり、あとスマホを見たり。
“面倒くさい”を“時間がない”に置き換えて、上手くサボる癖が身についてしまった大人だ。
だから書く。
何かを叶えたいと思った気持ちを、“時間がない”という言葉に本当は埋れさせたくない。
書けば引き返せない。
書いた場所に願いは残る。
叶う日を今か今かときっと待つ。
同じようにnoteに願いの言葉や叶った瞬間を綴る人がもっともっと増えていったとしたら。
それを目にする人がどんどん増えていったとしたら。
もしかしたら少しずつ私たちの行動が変わって表情も変わって。
明日は、世の中は、もっと良くなるかもしれない。
実際、noteを始めてから私の行動は変わった。
ストレスは溜まりにくくなったし、自分の中にもやもやを留めてネガティブになることも少なくなった。
少しだけ自信がついたし、書くことで自分を楽しむことができるようになったから余裕が生まれたように思う。
書くことで自分に、周囲に、少し優しくなれた気がする。
書く力の可能性に、私は賭けたい。
こんなご時世だからこそ、自分の心は自分で大切にしたい。
行ける場所は限られ、誰とも気軽に喋れることも無くなった。
誰もが、もちろん私も心のどこかで薄々感じ始めている。
もうあの頃みたいに気兼ねなく楽しく過ごせる日々は戻ってこないんじゃないか。
閉塞感が常に身に迫る。
でも、それでもまだ見ぬ明日に期待してしまう心は誰にも何にも制限できない。
私たちの自由な心は何にも替え難い宝物だ。
何歳になってもどんな時代になっても、子どもの頃のように宝物を手に取りじっくりと眺める気持ちは死なない。
noteに願いを。
来年は、来年の私たちは、きっともっと良くなる。
おばた
◇来年のウィッシュリストはまた後日にでも公開します◇
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