【感想】『玄鶴山房』芥川龍之介
昨日ゆうきくんさんが行われた『夏の読書感想大会2024』という企画配信内で、私の書いた『玄鶴山房』の読書感想文をご紹介頂きました。
(青空文庫でも読めるけど、リンクはせっかくだからペーパーバック対象作品のようなのであえてAmazonにしておいた。Kindleで読むなら無料)
夏の読書感想大会2024
ゆうきくん
ゆうきくんさんが芥川がお好きとのことで、この配信は『芥川龍之介作品全般』を課題図書した読書感想文を読んで行くという主旨で進められています。
3時間半弱という長丁場ではありますが、同じ作品を採り上げた感想文であっても、人によってみる角度が違う事が面白く、またそれを肯定的に受け止めて、その感想を踏まえてゆうきくんさんがどう感じたかだったり、学術的な中でどう捉えられている表現なのか等、主観や客観のバランス良く楽しそうにお話されているのが印象的な素敵な配信だったので、時間と興味を両揃いでお持ちの方は是非アーカイブをご覧ください。
お陰様で私も読んでみたい作品が増えました。
企画上ではゆうきくんさんが用意してくださった画像に感想を書き込むという形式だったため、どうしても言いたい部分だけを抽出した内容となっていました。
なので、ここにフルバージョンを書き残しておきます。
が、その前に。
感想の前の言い訳
Vtuberとして活動をする上で、沢山近代文学を扱ってきた人間としてあるまじきではありますが、芥川龍之介の書いた書簡や随筆を読むのは好きなのですが、あまり小説を読んだことがなく……。
なので、『芥川龍之介作品全般』というお題のもとで企画に乗じて読まなければきっと出会う事がなかった作品だと思います。
免罪符の如く書きますが、随筆を読むのは好きなんですよ?
特に『食物として』は自分で朗読をし、オマージュで企画動画も作るくらいには印象的で大好きな作品です。
食物として
朗読
企画
(これを請けてご協力頂いたVさんから実際に食べる設定でのシチュボをSkebでリクエストされた事も)
そんな私の書く感想です。
芥川を愛好する皆様におかれましては、ご容赦の程よろしくお願いいたします。
『玄鶴山房』読書感想全文
内面描写が密で面白いとの感想を以前目にした事があった為、選書しました。
本作は傍から見れば順風そうに生きた老芸術家が死ぬまでを章毎に視点を変えながら描いた一作です。
事前に窺い知った評通り、ドラマチックな展開を描くよりは、当時にはありふれたのかもしれない家庭の問題に直面した家族の内心や思惑に重点がある作品のように感じました。
当時の価値観を伺い知れないので、そう濁しましたが、本音はあってたまるか、こんな事。ではありますが。
親の介護や死という題材は遅かれ早かれ皆一様に体験する題材ではあるが、正直、『愛人』という存在を近くに感じた事はない為、これについては現実離れしたものとして生ぬるい気持ちで読み進めていました。
とはいいつつ、最初から興味深く読んではいたのですが。
本作では、唯一身内ではない、老芸術家に付き添っている看護師の甲野が語る4章で急に話の向きが変わり、加速度的に面白くなったように感じました。
甲野はこれまでの登場人物とは違う他人の立場で家庭に入り込む女です。
家の行く末なんて知ったことではないからこそ、池の水に波紋を作るような気軽さで悪意のままに掻き乱し、素知らぬ振りができる。
作中で具体的に明かされていないが、暗い生い立ちをバックボーンに持ったが故に人の不幸を見るのが楽しい、そうしてそれを自らの手で翻弄する事が好きだと宣う彼女の異質さが面白かったです。
俗っぽい言い方を敢えてすると、ここだけ悪役令嬢モノのなろう小説のシナジーを感じるので、近代文学を読む事に抵抗がある方でも軽くて読みやすい章のように思う。
なんと言えばいいか、原作ゲームに登場する本来の悪役令嬢が甲野。
目論見が露見していないから破滅していないだけでこれは原作の悪役令嬢です。
周りすべての内心を決めつけて動き、誘惑してやったのだと悦に浸り、自分の好奇心で周りに悪意を振りまく『面白え女』こと看護師の甲野、めちゃくちゃ良いです。
甲野の章で興味深いのが、居ても居なくても別段困らない存在なんですよね、彼女。
作中でやたらと『腰抜け(腰抜けという表現が出てくるたびにぎょっとするのですが、描写を読む限り、足腰が弱ったと似たニュアンスで受け取って良いんですよね?)』と表現される老芸術家の妻が愛人に対して嫉妬をして険がある状態なので、家庭内の修羅場の度合いが変わるくらいな物なので、本当にいなくとも別段機能するんですけど、居ると俄然面白い。
あとこれは蛇足ですが、本人はそうと思い込んでいるし、前段で誘惑をするとは書いたが、その誘惑された老芸術家の娘婿が好意的な受け止めをしているかはわからない。
彼が視点になった章でも言及されるところではないから。
彼女の前で服を脱がなくなった(お風呂等の着替えの合間の事)のはボティタッチの多さに対する警戒やそれを見る際の甲野の視線への不快感、顔見知りになったからこその気恥ずかしさなども考えうるのにね。
勝手にちょっかい掛けて勝手に楽しい気分になっている。
なんなんだ甲野とかいう女は。
これについては一人称で書かれているからこその面白さだと思う。
こんな面白い女を描いてくれてありがとう、芥川龍之介。
甲野ばかり褒めるとバランスが悪い気がするので、甲野にちょっかい掛けられていた娘婿の奥さん、つまり老芸術家の娘、お鈴ちゃんにも言及しておきます。
彼女の視点は3章にあるんだけど、久々に顔を合わせる父親の愛人の事でそわそわと不安げに思考を巡らせている様が可愛いよ。
おっとりとした箱入り娘が私もしっかりしないと!と空回りしているのが良い。
そこを行くと、それなりに打算や苦々しい感情はあれど、娘婿・娘は基本的に素朴で善良な人達としての視点だったのに対して、甲野という女のなんと異物な事か!
そんな彼女に胸を躍らせて続けて読む第5章、そこには老芸術家の皮を被った芥川がいました。
そう感じただけで、どこまで芥川が重ねて描いたのかはわかりません。
わかりませんが、『人生は地獄よりも地獄的である』という、芥川の随筆『侏儒の言葉』の中にあり、それを想起させるような希死念慮に満ちた重苦しい気持ちになる章でした。
ただ、苦しいだけではなく、死を望む傍らで恐怖もする。
そういった気持ちに囚われて、近視眼的な視野の中で滑稽な行動や考えに移す様は滑稽で、不謹慎なユーモアもありました。
首を絞めるために求める物が褌。
病床の中で褌でいかに死のうかだなんてことを熱心に暫く考えるのです。
滑稽の他ありません。
そんな死にたがりの老人がどうなったのか、家族はどうしたのか。それは皆様にお委ねします。
釈然としない気持ちを私は残しました。
当時の価値観が分からないが故に。
それでもなお面白い作品でした。
お委ねするとは言いつつ、一言だけ。
最終章に当たる第6章に登場する娘婿の従兄弟に当たる人物が登場するのですが、彼の読んでいる本がリープクネヒトである意図は何だったんだろう?
どちらかといえばブルジョアジーなイメージを芥川に抱いていた為、プロレタリアのイメージが無かった事と、英字とカタカナと2度表記を替えながら記すのだから、作者なりの暗喩はあったと思うので察してあげたかったという心残りがあります。
無学なのでお名前以外を存じ上げず申し訳ない。
時を越えてここは芥川に謝りたいなと思った。