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「依存は悪、自立は正義」は本当なのか?

大学生のとき通っていた近所のヨガ教室で、瞑想のCDが売っていてなんとなく購入してみた。
瞑想というと怪しい感じもあるかもしれないが、そのCDは優しい音楽と深い呼吸を促すガイドのみ。

当時から緊張しやすい自分はこのCDをかけて瞑想しているとリラックスできて、「これはいいものを購入した」と重宝した。特に夜寝る前などに行うと、ぐっすり眠ることができる。
それからもビジュアライゼーションやヨガニドラー(寝たまま行うヨガ)など、誰かがガイドしてくれる声に身を委ねてリラックスするというのが好きになった。

ちょっと脱線すると、自分はストレスフルな星座として有名な乙女座である。アルコール依存症の患者を調べると、全世界で共通して乙女座が一番多いらしい。とにもかくにもリラックスが下手な性格である。

先日、よくお世話になっている学びの先生が、瞑想の音源をプレゼントしてくれた。その先生は声がよくガイドもお上手で、私はまた「これはいいものを頂戴した」とホクホク顔で、ここ最近はその音源を聞いて瞑想するのが毎日の慣わしだった。

しかしある瞑想の先生のブログを読んでいて「音楽やガイドをかけて瞑想するのはよくない」という記事を発見した。

音楽やガイドがないと瞑想できないというのは、例えるならエサをやらないと芸をしない犬のようなものです。私たちはエサを与えられなくても自分から積極的に動く犬のように、音楽やガイドがないと瞑想できないという状況から卒業するべきです。(大意)


長年親しんだ瞑想の方法を否定されたようで、そっとそのブログのブラウザを閉じた。
それ以来1日の終わりに音楽をかけて瞑想しようとするも「あなたはエサがないと動けない犬・・」と誰かに言われているようで、瞑想する習慣も遠のいてしまった。

今日は久しぶりに地元の体育館でやってる、500円のピラティス教室に行ってみた。大雨だというのに100人近い老若男女が集まっている。

「はーい苦しい時ほど前を向いて~」「いつも背中が丸い人は、背中を反らす動きをするとバランスが取れていいですよ~」

先生のアナウンスが心地よく、家で一人でストレッチしたり筋トレをするよりずっと身体を動かすことができた。自分一人だと疲れたり辛くなる前に辞めてしまうけど、先生は辛くなるギリギリのラインを見極めてやってくれている。明日は筋肉痛だろうが、身体が喜んでいる感じがして行ってよかったと思った。

そんなピラティスのグループレッスンを受けて思ったが、人が一人で出来ることなんてちっぽけなものではないだろうか。

確かに〇〇がないと何もできない、という状況はあまりよくない。だけれどご飯が美味しいなあ~とパクパク食べてる人に向かって「他人が作ったお米を食べることは依存です!食料は自給できるようにならなければなりません!」と言ったところで大体の人が「はあ?」となるだろう。

以前契約していた男性コーチがこのタイプで「自分でコーチングできるようにならなければいけない!他人にコーチングしてもらわないとダメな人はダメだ!」という主張だった。

彼に教わった自分で自分を整える方法は役には立ったけど、自分は誰かに話を聞いてもらった方が気持ちの整理がつくタイプで、コーチに「だから仁美さんはダメなんです!」とよく怒られた。その講座に行っていた仲間が2人うつ病を発症してしまい、「なんかここはヤバい」と講座の途中だったが私は逃げた。

日本神話で、天の岩戸開きというお話がある。

太陽の神様である天照大神が岩の中に隠れてしまって世界から光が失われた時、神様たちはみんなで会議をする。そして踊りの上手い神様を中心に楽しそうな雰囲気を出して、天照さまを外に出して世界に光が戻る・・というお話だ。

このお話は①みんなで話し合う、②楽しい雰囲気で、の2つがポイントだ。
一人で出来ることなど限られているのだから、それぞれが得意分野を持ち寄って、そして深刻にではなく楽しそうに問題解決に当たる。もうそれでいいじゃないか、神様たちだってそうしてたんだし。

なるほど自分一人で瞑想が捗らない私は、エサがないと芸をしない犬そのものかもしれない。でも自発的に圧倒的成長をバリバリこなす犬って、ちょっと不気味じゃないか??

どうせやるなら楽しく、自分でやるのが難しい時は他人の力を借りる方向で。
そう開き直って今夜もいただいた瞑想の音源を、私はかける。


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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。

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