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夜に書いたラブレターは朝、見直した方がいい理由

大学の先生に「夜に書いた文章はそのまま出さず、必ず朝に見直しなさい」と言われたことがある。

人や草木がみな寝て静まっている夜に起きていると、不思議な高揚感がある。
そうした心持ちで文章を書いていると万能感が湧いてきて、なんだか素晴らしい傑作を書けたような気になる。
しかし朝読み返して、自分が夜の酔いのまま書いていたことに愕然とする。。これは朝や昼だと起こらない不思議な現象だ。

ちなみにミュージカルは昼公演と夜公演があるのだが、明らかに夜公演の方が俳優さんも観客もノリがいい。
いつも誰も笑わないシーンで笑いが起きたり、スタンディングオベーション(観客が立って拍手すること)も夜公演の方が自然と起こるような気がする。

文章を書くとき、夜の魔物に飲み込まれないために必要なのが「客観的な視点」である。
まずは書きたいものを書きたいまま書く。その後、時間を置いたり場所を変えて見直して、修正する。

絵を描く人がモデルさんを少し遠くから見たりするように、自分の描きたいテーマがしっかり描けているか、少し引いたところからも見て足したり削ったりを繰り返す。「主観」と「客観」の往復というやつだ。

まずは主観について。

自分の目から見えている情景。この場合、見ているのは海。

これを客観視すると。


海の他に、海を見ている自分を見ていることになる。

主観は自分が臨場感を持って体験していること。それに対して客観はその自分を外側から眺めるがごとく、分析したり観察したりすることで、文章の世界では「鳥の視点」「神の視点」なんて呼んだりする。

苦しかった・悲しかった出来事を文章に書いていると心に癒しが起こるのは、この主観と客観の往復によるものである。

「今ここから、この瞬間を生きよう!」というココカラファイン人間は多いが、人は今や未来ではなく、基本的に過去に生きる生き物である。
過去辛かったことや嫌だったことがもう二度と起こらないように、身体と心に記憶を刻んで生きる生き物だ。

そうした普段思い出さないようにしているモヤモヤとした「記憶」に、書くことで意識の光を当てる。辛かった時のことを思い出しながら、その時の自分をまるで他人事のように俯瞰しながら当時の自分を見る。ただ見る。
そうして「もう今は苦しかったあの時ではない」と、過去と今を分離させるのである。

人は苦しいことは主観で捉えがちだが、書くことで客観的に見ることができる。
反対に、客観で見ていた楽しかったことや嬉しかったことを主観で見て、より幸せな記憶として自分の中に残すこともできる。

自分を苦しみから切り離す作業と、自分と今をつなげ直す作業。
この両方を一度にできる珍しいものが書く、ということなのかもしれない。




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小澤仁美
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