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自分のわがままを許していこうと思った話。

エネルギー不足なのか、ここのところnoteを書こう書きたいという気持ち&スイッチがなかなか入らなった。

(とはいえ、仕事はするし普通に生活もしているのだから、気持ちというよりもnoteを書く頻度が少なくなって、習慣化から遠ざかっていただけのことかもしれないね。習慣大事。)

ここのところ、私は何だかモヤモヤしていた。なんだかひっかかる。昨日、noteを書こうとして自分の感情を因数分解しながらパソコンで文字をたたいているうちに、その原因をつかめた感覚があった。

ゴールデンウイークに母が退院して以来、実家に帰れていない。週末の仕事が続いたり、このご時世で気軽に帰れないというのもある。

母の気分には、上下がある。この20年、鬱の症状と一緒に過ごしているから多少の上下には私も慣れている。

最近、平日休日問わず母と電話をする機会が多い。母の気分の良し悪しを電話越しにリアルタイムで聴いている。電話自体は良いことだと思っているのだけど、私は人の感情を受け取りやすい。振れ幅が大きい母の感情を受け取っているうちに、自覚はなくても私のエネルギーが削られているのだと気づく。

一緒に生活をしているわけではないから、日々の中で起きている小さな変化や前後がわからず、電話をしているその瞬間の感情がより強調されて伝わってきてしまうのかもしれない。

いつも母の平穏を願って接してきた。母が1回目の入院をした10年前からは特に。優しく、母に文句を言うことなく、繊細な母が傷つかないように言葉を選んで。

無理しているつもりはなかったけど、気づかないうちに少しずつ疲れを溜めこんでいたのかもしれない。家族がうまくいくように調整したり、嫌な空気は和やかになるように。その場その場を上手くたためるように。整うように。

大切な人を大事にしたくてストレスをためてしまったら、いつかその人を恨んでしまいかねない。それじゃあ本末転倒なわけです。

昨日はnoteを書こうとしたら、自己分析な朝になった。

調整しようとしない、自分にとって嫌な感情を押し込めない、自分のワガママを許していきたいと思った話。

読んでくれて、ありがとう。

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