第11感 ふめいペイン

 8月末のこと、僕は自分の喉の違和感に気づいていながら、そのことに触れないように日々過ごしていた。
 そう、この時期はM-1グランプリ一回戦の真っただ中。ここで喉の違和感を認め、不戦敗するわけにはいかない。
 思えば2021年の夏、トリオになって一回目のキングオブコントは、三日前にコロナ陽性になり、泣く泣く辞退したのだった。一回戦だけど……。
 そんな悔しい思いもしたからこそ、喉の違和感を認めるわけにもいかず、なるべく酷使しない形で日々を過ごし、そして8月26日㈪、無事にM-1グランプリ一回戦を迎えたのだった。

 普通に負けた。

 8月27日㈫、この日は舞台に立ついわゆる、芸人の日とは打って変わって、生きるための小銭を稼ぐ、フリーターの日である。
 声の出づらさを感じつつもバイトをしていた僕だったが、夜、退勤の頃になると完全に喉がお亡くなりになり、天龍源一郎さんのようなハスキーな声へと変わっていた。
 しくじったとは思ったものの、M-1の予選日は複数日程を希望する仕様上、次の日は休みを取っていたため、一日休めばいい、そう思っていた。
 何より、M-1グランプリ当日にこんな状況にならなくてよかったと思った。落ちたけど。

 8月28日㈬、喉の痛みからか体調が決していいわけではなく、だからと言って熱もない。
 まあこのまま休んでいれば、さすがに明日はバイトに行けるだろう、そう高をくくっていた。
 夜、まだ8月だというのにどうにも肌寒い。コナン君がいたら、あれれ~おかしいぞ~、が飛び出してきそうだ。
 恐る恐る体温計を手に取り、熱を測る。
 38度ちょっと。なるほど、どうりで寒かったわけだ。

 8月29日㈭、バイトを休む。今年度で31歳の男にしては考えられないほど気軽に休みやがるが、バイトだから!
 この日は天気は悪かったこともあり、とりあえずは家にある薬で対処した。

 8月30日㈮、この日もM-1の予選日でお休み。
 前日の夜中から朝にかけてはどうにも熱が高くなっていたが、さすがになんとかなるだろう。また自分の現状を見つめ直しもせず、安易にそう考えた。
 冷静に考えるべきだった。常に微熱があり、喉の痛みは取れず、なんなら咳が一切止まらない。おいおい。
 この日の夜になると、ここ数日の間で一番レベルで辛くなり、次の日も休みをもらうことにした。
 しかしこのときはさすがに動いた。動いて、土曜診療もやっている病院を予約したのだった。

 8月31日㈯、雨が降ったりやんだりする中、病院に向かうと、メッチャ扁桃腺が腫れてる、そう言われた。
 そんな経験はあまりなかったが、言われてしまったのなら仕方ない。喉も痛く、熱も出てる体に鞭打ちながら、初めての病院の診察を乗り越え、次回以降のために薬局のアプリ登録もした。
 なんとか薬をもらった僕は、家に帰るとすぐに薬を飲み、ここからは寝て、起きて飯食って、薬飲んでまた寝て、この繰り返しをした。

 9月1日㈰、この日はシンプル休み。
 前日同様、寝て、起きt……まあ、同じ流れである。

 9月2日㈪、久しぶりにバイトへ赴く。
 30にもなるとすぐに身体が回復するなんてことはなく、とりあえず出陣できる、そのレベルまで持っていくのがやっとである。
 僕のイメージでは、モンハンシリーズのロアルドロスのブレスを食らった感じである。
 なんとかかんとか最低限の元気を取り戻した僕は、さらに次の9月3日㈫もバイトをこなし、ついに元気を取り戻した、かに思えた……。

 9月4日㈬、朝6時。早朝に目が覚めたりすることなど決してない僕が、あまりの痛みに飛び起きた。
 左足の親指のあたりがビックリするほど痛いのだ。
 しかしここ数日寝込んでばかりだった僕に特に思い当たる原因もなく、とりあえずは湿布だけを貼り、午後からのバイトに向けて二度寝をかました。

 昼頃、出発の時間。この頃になると、朝よりもさらに痛い。
 しかしここ最近体調を崩して休みをもらっていたうえに、この日シフトで一件相談したいことがあったため、休むわけにはいかなかった。
 痛い足を引きづりながら向かうも、もうバイト先に着くころには暑さとはまた違う変な汗をかいている。
 バイト先に到着し事情を説明すると、今すぐ病院に行くべきだ、と。
 そういえば言っていなかったが、僕のバイトは学童保育の支援員。おうちの方が仕事の小学生たちを放課後預かる仕事だ。
 そりゃあ遊びやなんだで動くし、子供なんて生き物はイレギュラーを具現化したような存在。足が痛い男なんてのは、邪魔でしかない。
 骨折してるかもしれないし、もしかしたら痛風かもしれません、そうバイト先の人に言われながら僕は帰路に着いた。
 しかし痛風はさすがにない。これだけは言える。
僕はお酒が弱いし、痛風の最大の敵を言われるビールに至っては一口だって飲めない。
 金のない売れてない芸人が魚卵を食べる機会はそれほどないし、あん肝だレバーだの内臓系ももちろんそうだ。
 全く、何を言ってるんだか。そう思いながら、僕は足を引きづって帰った。

 家の近くの整形外科を探すと歩いて5分ほどのところにあることが判明し、その病院まで10分以上かけて向かった。足が痛いからね。
 初めての病院。しかし受付の女性が優しく一安心。そしていざ診察室に通されると、優しくはないご年配の男性医師。まあ、結局は腕がよければ問題ない。
レントゲンを撮ってもらい、採血もしてもらうが、やはり優しくない。
注射にビビっていると、「痛みに弱いの」、と煽ってくるではないか。

弱いよ!

そして、骨が折れていないことが判明し、「痛風かもね」、と一言。

かも?

どうやら確定ではないらしい。
二日後になったら検査結果が受け取れるということで、その日は痛み止めの錠剤と湿布、そして座薬をもらって帰るのだった。

帰宅後すぐに薬を飲んだ僕はとりあえず布団に横たわることに。足が痛み、何もできない時間が続く。
そして夜、体をあっためないようにと言われた僕は、軽く汗を流し、生まれて初めての座薬に挑戦した
これが、想像通り、いや想像の何百倍も難しい。
最終的にこれからの数日間で会得した座薬をうまく入れる方法をここに書き記しておく。

① 座薬を体温で温めてから入れる
② ティッシュをお尻の間に挟む
③ ただひたすらに待つ

はじめは違和感しかないが、10~15分くらい待っていると違和感がなくなり、無事に到達するのだ。
座薬を入れるという慣れない行為に、お尻のあたりにびっちり汗をかきながら、僕はゆっくりと眠るのだった……。

9月5日㈭、何度か痛みで目を覚ましつつ起床。
この日はバイトは休み。なぜなら半年に一回のイベントがあったからだ。
ここでは詳しいことは割愛させていただくが、僕は生まれてすぐに心臓病が見つかり、1歳の頃に手術を受けた。
その手術のおかげもあって今はすっかり元気なのだが、それでも半年に一回は病院に行っているのだ。
想定より1時間以上早く家を出て、仕事が休みだった母親と合流する。事前にこのことは説明していたので、僕は杖を借り、病院へと向かった。
僕のことを幼いころから知っているご老体の医師は、杖を着いた姿を見て驚く。
痛風かもしれません、そうこぼすと、まずは足を見てくれる医師。

ああ、痛風だね。

あまりちゃんと見ていなかったが、僕の左足の親指の付け根はビックリするくらい腫れていた。

痛み止め出しておくね。

定期検診はもう20年以上通っていたが、おそらくそんなことを言われたのは初めてだった。
とりあえず定期検診では何の問題もなかった僕は、病院を後にし、処方箋を見る。
昨日貰った薬と全く同じだった。

やっぱ痛風だと思ってるじゃん!

帰宅をし、家で安静にする僕。よく見てみると親指の付け根はさっきの何倍にも腫れ上がり、左足全体の血色がすこぶる悪い。
この感じだと明日のバイトも休みだな、僕はそう思いながら床に就いた。

9月6日㈮、朝8時。朝8時を迎えてしまった、一睡もできないまま。
そう、この日はあまりの痛さに一睡もすることができなかったのだ。
布団に入りうとうとしてみるが、痛すぎて眠れず、もしかしたら寝ている瞬間もあるのかもしれないが、終始朦朧としている感じだった。
しかしこの日は病院に結果を聞きにいかなければならない。
そのまま寝ることもなく、病院の開院時間に向かった。
痛風とは、尿酸という物質が関節の中で結晶化し、強い痛みを引き起こすものなのだが、通常尿酸値という値が7.0を超えるとアウトだという。

僕は、8.5だった。
痛風かもね、と言われた。
いや絶対痛風だろう。

とりあえずは尿酸値を下げる薬をもらい、僕は帰宅。
不思議なもので、風邪などによる発熱もそうだが、どうにも夜中から明け方にかけてが一番辛いものだ。
バイト先に休みの連絡を入れた僕は病院から帰ると薬だけは服用し、布団に入った。
そして気づけば夕方を迎えていた。
それからは一週間前とほとんど同じ流れである。
寝て、起きて飯食って、薬飲んでまた寝て、この繰り返し。

9月7日㈯、前日ほどではないが、やはり浅い睡眠で朝を迎える。
この日も休みだったため、寝て、起きて飯食って、薬飲んでまた寝て、この繰り返し……繰り返しで終わらなかった。
夕方、この日何度目かの睡眠から目を覚ました僕は、左足の痛みがすっかり消え失せたことに気が付いた。
夜や早朝に比べれば、昼は痛くないとは言ったが、それでも痛いものは痛い。しかし、その痛みもないのである。
確かに痛みのピークは2,3日と聞いていたが、こういうことだったとは。

 結局それから10日くらいは、早歩きをしたり強い力がかかると、痛みの根みたいなものが、危ないぞ!、とサインを出すことはあったが、結局それ以来、大事に至ることはなかった。
 しかし、これも今回はの話。痛風というのは完全に消え去るわけではない。
 僕は常に爆弾を抱えた状態になってしまったわけだ。
 そして何より、この爆弾が僕にとっては非常にステルスなのだ。
 一応、タラコくらいは食べることもあるが、大酒飲みでもなければ、内臓系を好んで食したりもしない。
 だから、怖すぎるのだ。注意すべき明確な対象が見えないのだ。
 しかしとりあえずは、甘いものを節制してみたり、運動を日々の生活に取り入れたり、そしてこれは何事にも言えることだが、水を飲もう!

 また僕は心臓病を抱えているため、色々な病気になるリスクが普通の人よりも高い。
 これは中高生の頃から言われていたことだ。
 だからこそ、日々の生活に細心の注意を払わなければならない。

 そして、今回痛風になった理由の一つに、やはり直前の体調不良も関係しているのではないかと考えた。
 咳が止まらず熱もあるのに、病院に行くのが遅れた結果、扁桃腺が腫れあがっていたわけだが、結局はこういったことが原因で免疫力が低下し、本当は5年後10年後の発症でよかった痛風が今着た可能性も考えられる。
 やっぱり、病院は行くべきやね!
 医療の進歩が、平均寿命の上昇につながっているわけだ。

かがくのちからってすげー!

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