第16感 みそじプレイバック
年の瀬ということでお忙しくされていますでしょうか。僕は、それほどです。
今年の春頃から隔週で始めたこの「熊感」も早いものでもう第16回目。気づけば今年最後の「熊感」でございます。
ということで、今回は今年の振り返りをしましょうか。
2024年、今年はここ数年で見ても一番と言っていいほど激動の一年でした……あくまで僕にとってではありますが。
いいことも悪いことも、本当に盛りだくさんの一年でした。
少しずつ振り返っていきますね。
2024年3月17日、僕の誕生日。
誕生日は毎年やってくるものだが、今年はまた一味違いました。なぜなら、30歳を迎えたからです。
30歳?!ついに三十路突入?!三十路かあ……。色んな感情が駆け巡りました。
しかし実際のところ、30歳になったところで何かが変わるわけではありません。ただ歳を一つ重ねただけなのだから。
あ、一つだけ、大人感を出したくて、長財布デビューしました。少しレベルアップした気がしました。
でも、長財布=大人、っていう考えがそもそも、子供かもしれません。
そんな表面的なことは置いておいて、内心、思うこともないわけではないです。
周りの友人たちは結婚をし、中には子供がいる人もいる。それこそ、僕の母親が僕を生んだのも30歳になるときでした。
その反面、自分はというと、履歴書が真っ白なままの三十路突入。由々しき事態です。
いや、でも待ってください。本当に由々しき事態なのでしょうか?
結局は捉え方の問題なんです。自分がいいと思えば、なんでもいいんです!
好きなことをやり、好きなように生き、有難いことに周りの人からも応援されている。これのどこが、「幸せじゃない」と言えるでしょうか。
僕はこれからもこうして生きていくんです。
そして、最後に笑って死ねればいい。
そう考えると、30歳を迎えたのはとても大きいことでもあり、意外と小さなことだったりもしました。
追伸、平成6年生まれの僕は令和6年に30歳を迎えました。平成生まれの人はみんなそうなると思うよ。
四月、僕はこの年にして初めて、実家を出て一人暮らしを始めました。
東京で生まれ、埼玉で育った僕にとって、実家で暮らし続けることは当たり前のことでした。
東京の学校に通っていたため、学生時代はもちろんのこと、その後芸人を志した際にも、有難いことに母親が許してくれたため、なおのこと実家を出る必要性を感じなかったんです。
しかし30歳を迎えるにあたり、どこか新たな一歩を踏み出したい、そういう気持ちになり、僕は旅立ちを決意しました。
昨年の12月、「春に実家を出る」、そう母親に告げたときは、意外とあっさりしたものでした。
母親も特に目立った反応をするわけでもなく、僕自身もいつもと変わらぬ日々を過ごしていました。
そうこうしているうちに、三月末日。その日がやって来ました。
大学生の頃に両親が離婚した僕にとって、母親は唯一の肉親。弟も就職を機に実家を出たため、母親との二人暮らしも長かったです。
母親は昔からいつも僕と弟のことを優しく包み込み、そして守ってくれていました。
大学を中退したときも、芸人を志したときも、もちろん母親は止めはしましたが、それでも最後は首を縦に振ってくれた。
そんなことを考えていると、僕の目には自然と涙があふれていた。そして母親の目にも、涙があふれていた。
いい年して定職にも就かず実家暮らしをしていたやつが、と思われるかもしれません。
でも僕はそんな自分を情けないとは思わない。だって、これが僕だから。
結局、母親としっかりと泣き通した僕は、実家を後にするのでした。
もちろん引っ越してからも東京で芸人活動は続けているため、全然気軽に帰れる距離にいるので、今でもよく帰っています。
実家を出たことに伴いもう一つ。学生時代から続けていた学童でのアルバイトも辞めました。
他のバイトと兼業したり、多少お休みすることもありましたが、それでも丸八年もの間、お世話になった学童。
はじめはあくまで紹介で働き始めた大学生でしかなかった僕が、その後大学を中退し、芸人を志して養成所に入り、晴れて??芸人としてデビュー。
特に目立った成績を上げることもなく、それでも芸人として活動していた僕を、学童の皆さんはいつも応援してくれました。
本当に周りの方に恵まれている、そう思いました。
一緒に働いていた方々はもちろん、子供たちもとてもいい子たちで、今でも思い出されます。
間違いなくあの学童は、僕にとって第二の故郷でした。
この春は、これまでずっと停滞していた僕にとって、珍しく別れの季節となったのでした。
5月吉日のこと。僕のたった一人の弟が、結婚をしました。
正確には入籍は去年したので、結婚式を挙げました。
やっぱり結婚式はいいですね。みんながこの二人をお祝いしたいと集まる。
こんな素敵なことはなかなかないです。
詳しいことは、こちらの「第3感 大熊家は安泰」をお読みください。
6月末のことです。僕が新しく腰を据えるバイト先が決まりました。いや、腰を据えたいわけではないんですけどね。
自称お笑い芸人の僕は当然芸事では食えず、バイトをせざるを得ません。少しでも早く食えるようになって辞めたいですが、もちろんそう簡単ではありません。
となると、芸事に理解あるかどうかが大切なわけです。
引っ越してバイトを探し始めてみたのですが、なかなかシフトに入れなかったりなんだりで、これだ、というバイトが見つかりませんでした。
長いこと学童でバイトをしていたので、次はまた違うことをしようと思い色々探したのですがなかなかうまくいかず。
最終的に落ち着いた場所は、学童でした。
中途半端な大学を中退し、職歴もない僕。
でも唯一、学童で長い間バイトをしていたため、「放課後児童支援員」という資格だけは持っています。
この資格が、とても意味がありました。
結局、3件ほど面接の予定を入れ、1箇所目2箇所目と連日で面接を受けてきたのですが、2戦2勝でした。
3箇所目に関しては、御断りの電話を入れたくらいです。
マジで資格持っててよかった!
いやあ資格は大切ってよく聞くじゃないですか。
別に全部鵜呑みにするわけじゃないですけど、やっぱり資格「も」大切ですね!
これからはこちらのバイト先でお世話になりながら、少しでも早く花開くように、種を植え、水を上げるまでです。
今年はどうにも体調を崩すことが多かったです。
やはり長年住み慣れた実家を離れ、今までよりは偏った食生活になったこともその一因かもしれません。
うーん、こればかりは仕方ないですね。
でも、ビール一切飲めないのに痛風になったのだけは、マジで許さねえ。
詳しいことは、こちらの「第11感 ふめいペイン」をお読みください。
芸人としての活動も少し話させてください。
今年は賞レース全敗、目立った戦績も残せず、最後にはトリオ解散という道をたどりました。
不仲による解散ではなく、方向性の違いによる解散。やはり解散は悲しいことです。
しかしこれは言い訳でもなんでもなく、お互いが次に進むための、前向きなやつなのです。
そして新たに組み直した「粁(きろめーとる)」というコンビ。
このコンビでまた一歩一歩進んでいきます。
詳しいことは、こちらの諸々をご覧ください。
第13感 みそじリスタート
第15感 すすめキロメートル
stand,FM #1「ここから、ここから」
YouTube #1「ここから、ここから」
そして12月某日。身内に不幸がありました。
これに関してはどうにもまだ消化しきれてない部分があるので、これ以上はここでは特筆しませんが、心が揺れ、涙が溢れました。
ただ一つ書くとすれば、人の死に触れより一層、笑顔で死ねる人生を歩もうと、そう思いました。
はい、ということで僕の2024年はこんなところでしょうか。
もちろんここに書いていないこともたくさんありますが、ズバリ、この一年を総括すると……
「別れと出会い」
結局、人生はこの繰り返しなんでしょうね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。